赤信号を見落とし、歩行者に突っ込んだ

被告人は24歳の大学院生だった。長袖シャツもジーンズもお洒落なのだが、スニーカーがひどく汚れている。ある日の夜、研究室からアパートへいつもの道を「夕食に何を買おうか」などと考えながら、自転車で走っていた。途中に下り坂があった。速度は約20キロになった。被告人は車道の右側を走り、赤信号を見落とした。

当然、歩行者信号は青だ。青信号の横断歩道へ、被告人から見て右側から歩行者(29歳女性)が横断歩道へ出てきた。女性からすれば、まさか右側通行の自転車が信号無視で突っ込んでくるとは夢にも思わなかったろう。衝突! 両側下顎骨骨折、歯槽骨骨折などで治癒まで約4カ月を要し、後遺障害を伴う重傷を女性は負った。

道路を走る救急車
写真=iStock.com/Martin Dimitrov
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情状証人は被告人の母親だった。病気をおして遠方から証人出廷したという。

大学院生は両親の老後の蓄えを失わせた

母親「相手の方が若い女性で……一生かかってでもめんどうをみていくつもりで、覚悟して……」

弁護人「示談金は……今まで550万円……今後、1000万円を超える賠償を……支払っていく余裕は……」

母親「正直いって、とても不安……主人の退職金を前借りしてでも……示談に応じてくださったことに感謝を……」

両親の老後の蓄えを崩させてしまうことになり、被告人はうなだれるばかりだった。求刑は禁錮1年。弁護人は罰金刑の判決を強く求めた。被告人は、遺伝子疾患の治療に関する公的な研究機関への就職を予定している。執行猶予付きでも禁錮刑を受けると、公務員の欠格事項に該当してしまうのだ。

2週間後、判決。「禁錮1年、執行猶予3年」に決まっている、と私は予想した。ところがなんと、裁判官は「罰金100万円」を言い渡した。禁錮刑の求刑に対し罰金判決は、極めて異例だ。この若者から研究職への就職を奪っても、被害者にも社会にも何ら得るものはないと考えたのだろう。大胆な温情判決といえる。こういう判決は検察官の失点になると聞く。