1ピッチ目で足を滑らせても、全てが終わる
取りつきには、登攀を撮影するテレビスタッフや妊娠中の妻の姿もあり、頂上には二人のカメラマンがスタンバイしている。
サラテでの「オンサイトトライ」というアイデアを2年前に思いついて以来、激しいトレーニングを続けてきた。だが、いま、いよいよクライミングを始めるに当たって胸に去来するのは、自らが自らに対して課してきた時間の重さよりも、その挑戦を支えてきた人々の姿であった。
「多くの人たちを巻き込んできた」
と、彼は思う。
オンサイトトライでは、最初の1ピッチ目(ルートの区切り)で足を滑らせてしまっても、全てが終わってしまう。このクライミングのチャレンジを支えてくれてきた人々の思いは、自分の一瞬のミスで水の泡と化してしまう。
9月中旬のヨセミテは秋の気配が色濃く漂い、乾いた空気が冷たかった。
ヘッドランプを点け、指にチョークを乗せる。そして、つるりとした花崗岩の壁に彼は取りつく。
緊張感からだろう。最初のホールド(手がかり、足がかり)をつかみ、これから長い時間をともにする壁に取りついたとき、
「硬い登りだな」
と、感じた。
闇に包まれている壁を、それでもライトに照らされたホールドだけをひとつ、ひとつと追っていく。
氷河が溶けた後の壁である花崗岩は、下の方ほど起伏が滑らかで、登り始めが最もつかみどころがない。
「死闘」のようなクライミングの始まり
だが、一つひとつのホールドに指をかけて黙々と登っていくと、少しずつ身体から緊張が解けていくのを感じたのも確かだった。
「緊張」とはエネルギーの塊のようなもので、クライミングの動作を繰り返すうち、その熱が身体を循環して燃えていくような感覚を抱く、と平山は言う。
「結局、メンタルというものも、頭の中の発想も肉体から発せられている。エネルギーを燃やすとそれも燃えていくような感じですよね。ガスが抜けていくような感じがするんです。だから、登れば登るほど気が楽になっていきました」
ライトに照らされた範囲だけに集中していると、平山は自分が「その世界に棲んでいる」という気持ちになった。壁面と平山の動きが呼応し、彼を取り囲む小さな世界だけが、スポットライトを当てられたように浮かび上がっていた。
夜が明けてきたのは、クライミングを始めてから30分ほどが経ったときだった。2ピッチほどの高さにたどり着く頃のことだ。
ふと頭上の方を見ると、薄明かりの中に1000メートルの壁がその全容を露わにしていた。
光に照らされた自分だけの世界が終わり、
「あそこまで行くのか」
「けっこう長いな」
という気持ちが胸をよぎった。
それが、これから2日間にわたって続いた、彼の死闘のようなクライミングの始まりだった。