「極地」で、彼が何を見たのかを知りたかった

平山によるサラテの「オンサイト」での挑戦は、世界のフリークライミングの歴史の中でも前代未聞の試みだった。

オンサイトでは、初めて触る岩場を、何の情報ももたずに登り切る。その次に難しいとされる「フラッシュ」では、自分が触るのは初めてだが、ほかの人間が登ったルートなどは確認できる。オンサイトの条件は「初めてのルート」であるため、それを登攀できるのかはわからない状態で、一度も落ちずに完登を目指す。なお、ロープなどの安全確保をしない「フリーソロ」という登り方もあるが、平山は安全確保をしながら登攀している。

エル・キャピタンの「世界最大の一枚岩」とも呼ばれる標高差1000メートルの壁は1958年、アメリカ人のロッククライマーであるウォレン・ハーディングによって頂上までのルートが初めてつながれて以来、幾人かのクライマーがその頂に到達していた(ハーディングの登ったルートは『ノーズ』と呼ばれる)。「サラテ」は1960年に築かれたルートで、世界的にもっとも有名な「ビッグ・ウォール」の一つだった。

エル・キャピタン(アメリカ・ヨセミテ国立公園・ヨセミテバレー
写真=時事通信フォト
エル・キャピタン(アメリカ・ヨセミテ国立公園・ヨセミテバレー

このサラテでは人工的な登攀器具を使わない「フリー」での完登が、1988年に成し遂げられていた。だが、それをさらに「オンサイト」で行おうとする者は現れなかった。

平山の挑戦は、その意味で未だ誰も想像したことのない極限の挑戦だった。そして、彼にとっては自身のクライマーとしての極地を超えようとする試みだったと言える。

平山はその極地の向こう側へたどり着こうとすることで、自らのクライマーとしての「集大成」となる表現を行おうとした。それを成し遂げることは、当時27歳だった彼に「人生の次のステップに踏み出す経験」となる予感を抱かせていた。

私が平山に当時の「サラテ」の話を聞きたいと思ったのは、そんな戦いようなクライミングの先で、彼が何を見たのかを知りたかったからだ。

登る理由は、単に「楽しいから」ではない

以前、平山にインタビューする機会を得た際、彼は「サラテ」での体験によってクライミングに対する意識が変わり、その行為を次のようなものだと捉えるようになったと話していた。

「僕は岩登りが好きだし、その文化の中にいるのも好きだったけれど、じゃあ、本当の自分は何を求めているのか。何を求めて、なぜ岩登りをしているのか。それは単に『楽しいから』ではないんだ、とサラテで僕は思えるようになったんです。

それはサラテでのクライミングが、自分の生命の根源的なところにある感覚で挑んだ挑戦だったからだと思います。例えば、地球上に生まれた生物としての使命というものだったり、自分を支えてくれるいろんな人の存在があったり……。自分が生きている『意味』のようなものを、自分で感じ取りたい、知りたい、学びたい。『このように生きたいから、クライミングをしているんだ』という気持ちを、あのときに僕は初めて得たんですね」