当初の予算が「頭金」化する

この欲求自体はけっして悪いことではないし、プロジェクトの関係者全員がこの欲求を持たなくてはならない。問題なのは、計画立案をないがしろにし、まるでプロジェクトに本格的に着手する前に片づけるべき、厄介事のように扱うことなのだ。

計画立案は、プロジェクトのれっきとした一部である。計画立案の前進は、プロジェクトの前進、それも最もコスト効率の高い前進だ。

この事実を無視すれば、危険が待っている。その理由を説明しよう。

建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞したフランスの建築家、ジャン・ヌーヴェルは、芸術的建築作品のコスト見積もりに潜む意図について赤裸々に語った。

「フランスでは何かを推進するための政治的手段として、理論上の予算が計上されることが多い。

その金額は、4回に3回の割合で、実際のどんなコストとも一致しない。たんに政治的に許容できる金額というだけだ。本当のコストはあとになってから、政治家の都合のよいタイミングと場所で発表される」

実際のコストを市民が知ったら、永久に承認されない

つまり、見積もりはそもそも正確ではなく、プロジェクトを売り込むための数字でしかないというのだ。はっきり言えば「ウソ」、体よく言えば「方便」ということになる。

アメリカの政治家も、こうした隠れた意図をおおっぴらに語っている。サンフランシスコ市長やカリフォルニア州議会議長を歴任したウィリー・ブラウンは、2013年にサンフランシスコ・クロニクル紙に寄稿した、ベイエリアの輸送インフラに関するコラムにこう書いた。

「サンフランシスコ・トランスベイ・ターミナルの工費が予算を3億ドル超過したと聞いても、驚くことは何もない。当初の見積もりが実際のコストを下回ることなど、はなからわかっていた。セントラル・サブウェイやベイブリッジ等の巨大建設プロジェクトで、実コストが算出されなかったのも同じことだ。だから放っておけ。

都市計画の世界では、当初予算はただの頭金に過ぎない。実際のコストを最初から市民に知らせでもしたら、何も永久に承認されないだろう(太字は著者)」

ご想像の通り、ブラウンはこれを書いたとき、すでに政界から引退していた。