実現可能性調査は、事業を正当化するものにすぎない

ある上級輸送コンサルタントから内々に聞いた話だが、昨今盛んに行われている「フィージビリティ・スタディ(実現可能性調査)」は、公正な分析というよりは、プロジェクトの実行会社に都合のよい、隠れみののような役割を果たしているという。

「実行会社はほぼ例外なく、ただプロジェクトを正当化したい一心で、それを裏づけるような輸送量予測を出そうとしていたね」

彼らの望みはただ1つ、プロジェクトを始動させることだった。「なぜ見積もりはつねに低めなのかと、彼らに聞いたことがある。ただこう言っていたよ、『本当の見積もりを出したら、何も建てられやしない』と」

この言葉がウィリー・ブラウンの主張に酷似しているのは、偶然ではない。

戦略的虚偽表明については、私もいろいろな分野の経営幹部から話を聞いている。ただし、主に内輪の席でだ。

オリンピックの見積もりがあまりに杜撰な理由

私がアメリカの主要な建築デザイン雑誌に、戦略的虚偽表明に関する論説を書かせてほしいと売り込んだときも、編集長に断られた。読者にとっては、プロジェクトに関してウソをつくのは当たり前すぎてもはや常識だから、目新しさに欠ける、というのだ。

「あなたの説明に当てはまる大型プロジェクトの例は、この国にあふれている」と彼は書いてきた。だがそれは内輪の話だ。こうした内情が公に語られることはめったにない。

性急で表面的な計画は、見積もりを低く抑えるのに都合がよいどころか、とても役に立つ。問題や課題が見過ごされれば、見積もりが増えることもないからだ。

そしてその見積もりに絶大な自信を表明すれば、計画をさらにあと押しできる。モントリオール市長ジャン・ドラポーは、1976年のモントリオールオリンピックについて、コストが予算をオーバーすることはないと言い切った。「モントリオールオリンピックが赤字になるなど、男が妊娠するのと同じくらいあり得ないことだ」

そんな風に断言すれば、いずれ恥をかくのは目に見えている。だがそれはずっと先のこと、ほしいものを手に入れたあとのことだ。引退したあとかもしれない。

ギリシャのアテネで開催された2004年オリンピックのために建てられた構造物
写真=iStock.com/MarioGuti
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