ウソは悪い人がつくとは限らない
だけど、これは実は、その知人が自分のアリバイを証明するために利用していただけだった、というケース。非常にうまく嘘を利用しています。
聞いた話をすぐに自分の体験のように言う人を出してくるというのもクリスティーがよく使う手法です。実社会でも、自分の経験ではないことを、自分の話として語る人は結構多いですよね。
「○○さんから聞いたんだけど」「○○さんが見たらしいけど」という断りを入れずに「私が見た」「私は知っている」という話に変えてしまう。
その人に、騙そうという悪意はありません。本人も、すっかり信じ込んでいる。その話を聞いた第三者は、その事実は間違いないと考えるようになります。
この場合、嘘をつきたかったのは誰なのか。いかにも他人の話を見てきたように言う癖のある人物に対して、わざと耳に入るように作り話をした人、そこに嘘の意図があります。
人間の外面と内面のギャップも「ウソ」になる
イギリスのミステリー小説の特徴でもありますが、最初から湧き出るように人がたくさん出てきて、徐々に性格付けがされていきます。
その中では、「あの人は嘘つきだ」という話も出てくる。ここで面白いのは、ミステリーの場合、「嘘つき」だと言われている人の証言は案外正しくて、「あの人は正直者だ」と言われている人の証言の方が疑わしい。あるいは、いつも弱々しい人が、実は芯は強かったり、強そうな人がもろかったりします。
人間には両面性があって、常に表に見せているのは、自分がなりたい自分です。ところが、ミステリーではその人の真の姿を描き出し、そのギャップを嘘として使います。
小説家は、最初は本人が見せたい自分を描写します。次に、視点登場人物にその人物を置いて、内面を見せる。
強気の男だと見えていた人が、内心ではずっとドギマギ震えている。読者はそのギャップに驚きます。そんな風に、書き手がリードするストーリーに、読者は誘導されていきます。
小説の世界だけでなく、先ほど例に挙げた台湾有事でも同様です。メディアや政治家が一斉に「台湾有事に備えろ」と言い出すと、なぜ日本が中国と闘うことが前提となっているのかという問いを持つことなく、その論の中に誘導されてしまう。
この種の誘導は、日々、ある意味ミステリー作品よりも巧妙に行われています。