街でよく見かけるインドカレー店では多くのネパール人が働いている。その多くはネパール中部「バグルン」の出身だという。なぜバグルンの人たちは日本にやってきたのか。ジャーナリストの室橋裕和さんの著書『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)から一部を紹介する――。(第3回)
バグルン・バザール
バグルン・バザール(写真=Bkasthapa/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

「インネパの里」に行ってみることにした

ここまでたくさんの「インネパ」経営者やコックに話を聞いてきたが(第1回第2回)、彼らの多くに共通していることがある。かなりの人々がネパール中部の「バグルン」出身だということだ。

本書にここまで登場した人たちだけではない。僕はヒマさえあればほうぼうのインドカレー店でランチを食べがてら、店の人と世間話をして自らの「インネパ」解像度を上げる日々を過ごしていたのだが、出身を聞いてみるとバグルンという答えが実によく返ってきた。あとはチトワン、ポカラが多いだろうか。

だがよくよく話してみればもとはバグルン出身で、日本で稼いだお金でチトワンやポカラにいい家を買って移り住んだというケースも定番だった。彼らの話を聞きながら、僕はバグルンへの思いを募らせていった。

首都カトマンズから西におよそ180km。ガンダキ州の西部に位置する郡がバグルンである。古くはチベットとの交易路として栄えたというが、なぜその地域から日本に出稼ぎにやってくる人々が多いのだろうか。そして僕たちがいつも接しているカレー屋の皆さんは、いったいどんなところで生まれ育ったのか。「インネパの里」ともいえるバグルンに、僕は行ってみることにした。