こんな例がある。ある先輩の書き手は映画の批評記事を書く際、その映画だけでなく、その関連作品、その監督が過去に手掛けた作品まですべて鑑賞する。そこで「これは別の映画の影響を受けているな」と感じればその映画と関連作品も鑑賞する。そして、映画のレビューサイトに掲載されている何千というレビューも読む。そこで得た感想や考察を裏付けるために映画に限らずあらゆる資料にあたる。そうして得られる原稿料が1万円から2万円ということもあるらしい。

じっくり取材した記事では採算がとれない

ライター側で考えてみよう。業で生計を立てていこうとした場合、サラリーマンなみの月30万円の収入を得ようと思えば、税金など一切考えずに荒っぽく計算すると1本1万円の原稿料の記事を30本ほど書かなければならない。1日1本は納品せねばならない。その中でじっくりと取材し、資料にあたり、自問自答して書く、どれだけのことができるだろうか。

僕はどんな記事でも自分を疑いながら書いているので、自問自答し、苦悩し、葛藤し、ときには資料を読み込み、ときには同じような論調の文章や、異なる論調の文章を読み、何度も書き直す。これは誤解されるかもと書き方を何度も変える。もうボツにしようと何度も思いながら、なんとか世に出すまでこぎつける。

やっていけるだけの原稿料を1本書くだけで出すので、1カ月みっちり取り組んで書いてくださいね。そうしてくれるサイトはほとんどない。よほど著名な書き手でもないかぎり絶対に採算が合わないからだ。

旅行記事を扱うサイトなどはもっと顕著だ。きっちり取材して、しっかりと濃厚で臨場感のある記事を書き、取材のネタだけでなくその背後にある歴史や文化にあたって書こうこうと思えば、かなりの手間と時間を要する。経費もうなぎのぼりだ。そんな記事で採算は無理なので、どんどん更新停止しているのが現状だ。

だから書く仕事は奪われるのだと思う。

はやく僕らから書くことを奪ってほしい

けれどもそれでいいのだ。

実は書くことがないというのはとても幸せな状態なのだ。だって苦悩しなくていいのだ。葛藤しなくていいのだ。自分が嫌になるくらい自問自答しなくていいのだ。だからはやく僕らから書くことを奪ってほしい。

pato『文章を書くときいちばん大切なものは、感情である。』(アスコム)
pato『文章で伝えるときときいちばん大切なものは、感情である。読みたくなる文章の書き方29の掟』(アスコム)

僕らの主張や慟哭は、苦悩しなくとも生成AIが代弁してくれる。それはとても幸せなことなのだ。頼んだぞ、生成AI。

僕は、苦悩と葛藤の末に生み出された文章を読みたいし、それを通じて考え方がブラッシュアップされた人間に興味がある。それはお金になるならないは別として、まだ多くの書き手がやってくれている。それがあるうちはまだまだ人間の勝ちだとすら思っている。

もしかしたら、生成AIがまた凄まじい進化を遂げて文章を書く際の苦悩や葛藤、自問自答それらを手に入れるかもしれない。でも、苦悩しながら文章を書く、それはもう人間だろう。仕事仲間だ。なにか悩みとかないか。原稿料未払いとかされてないか。こんど飲みに行こう、美味い砂肝を出す店があるんだ。

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