天井が張られていない大広間

たとえば大坂城。黒色基調で豪華絢爛だった天守を中心に、豊臣時代の威容が、それなりに再現されてはいる。しかし、石垣の積み方がおかしい。大きさをそろえ、築石間のすき間をなくし、表面も加工した石が積まれているが、この積み方は、関ヶ原合戦から15年後、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅んで以降のものだ。

大坂城の大広間もおかしい。映像として高さを強調したかったからだと思うが、天井が張られていないのだ。

日本の伝統建築でも、天井が張られていないものはある。しかし、武士が住居として発展させた書院造には、天井が必ず張られていた。「SHOGUN 将軍」で描かれている大坂城の大広間には、書院造に必須の床の間や違い棚、付書院などが備わり、壁面は金碧障壁画で飾られている。それなのに天井がないなどありえない。

また、金碧障壁画は、壁が床に接する位置から、長押を超えて天井直下まで、壁面を大きく使って松などが大胆に描かれている。だが、豊臣時代の障壁画は、長押の位置でいったん切れて、その上部まで絵が連続することはなかった。床のすぐ上から天井直下まで、ひと続きの絵が登場するのは、寛永期(1624~44)に入ってからのことだった。

障子の桟も、当時は縦桟と横桟を横長の長方形に組むのが普通だったのに、正方形に組んだものなど妙な形態のものが多くて気になる。

あまりにも簡単に武士が刀を抜く

この手の細部は、言い出せばキリがない。また、屋内は自然光で撮影し、灯明皿を使ったとのことだが、夜の自然光の美しさを強調する目的だろうか、わざわざ暗いなかで書類をしたため、印を押す場面も出てくる。照明の自然さを強調するために、日中に行うべき事柄を暗いなかで行わせるなら、本末転倒だろう。

また、気に入らなかったり、礼を失していると思ったりすると、武将も家臣たちもすぐに刀を抜こうとする。だが、現実には、武士はよほどのことがなければ刀を抜かなかった。

日本刀を抜こうとしている手元
写真=iStock.com/Olena Osypova
※写真はイメージです

江戸時代には、武士が軽率に刀を抜いてだれかを斬ろうものなら、御家断絶や切腹の沙汰が待っていた。「SHOGUN 将軍」で描かれているのは江戸時代以前ではあるが、戦場でもないかぎり、よほどのことがなければ刀は抜かない。刀は武士のシンボルであって、振り回すものではなかった。ましてや天下人の城内で刀を抜くことも、抜こうとすることも、論外であった。

戦場においても、使われたのは刀ではなく弓矢が中心で、いわゆるチャンバラとは、過去には存在しなかった架空の戦闘なのである。

「SHOGUN 将軍」では、他者に対してだけでなく、自分に対しても安易に刀を抜く。漂着した船に乗っていた航海士で、ウィリアム・アダムスがモデルのジョン・ブラックソンの前で、浅野忠信演じる樫木藪重が断崖を海まで降りていく場面があったが、そこで転落した藪重は、もはや助からないと思った瞬間、海中で刀を抜いて切腹しようとしたのだ。

藪重は「死に魅せられている」という設定だそうだが、昔の日本人はすぐに腹を切ったというのは、欧米人の思い込み以外のなにものでもない。加えれば、藪重が危険を賭して断崖を降下するのを、家臣がだれも止めないが、主君の命あっての家臣であるのに、ありえない判断である。