ダノンプレミアム不在で過信が生まれてしまった
今思うと、どこか運命的なものを感じるが、2000勝を達成した翌日、7月16日の中京芝2000mでデビューしたのがワグネリアンだ。
その新馬戦では、超のつくスローペースだったとはいえ、中京競馬史上最速(当時)となる上がり3ハロン32秒6をマーク。素質がなければできない芸当で、初戦から申し分のない走りを見せてくれた。
その後、野路菊S、東京スポーツ杯2歳Sを楽勝し、一気にクラシックの最有力候補へ。エンジンのかかりが遅いタイプではあったが、ひとたび点火すれば鋭い脚を使う。しかも、自分が相次いで後ろ盾を失い、重賞で有力馬に騎乗する機会がめっきり減った頃にサクラメガワンダーやムードインディゴなどでチャンスをくれた友道康夫厩舎の管理馬とあって、春が待ち遠しくてたまらなかった。
春初戦の弥生賞は、2歳チャンピオンであるダノンプレミアムの2着。内容としては収穫のあるレースだったが、どうにもテンションが高く、陣営と相談した結果、中間はあまり強い負荷をかけずに皐月賞へ向かうことになった。
その皐月賞は、前走で後塵を拝したダノンプレミアムが出走回避。あろうことか、それによって自分の中に、「ダノンプレミアムがいないとなれば、多少強引な競馬をしても勝てるだろう」という過信が生まれてしまった。
「祐一さん頼みますよ。今度は攻めてくださいね」
実際、後方待機から外を回って早めに動かしていき、4コーナーも外。直線では伸び切れずに7着に終わった。見た目は強引でも、明らかに守りに入った競馬。自身の過信を恥じた。あまり負荷をかけない仕上げで7着に負けたこともあり、ダービーに向けた調整は、精神面の安定を保ちつつ、攻める調教にシフトチェンジ。自分は一度も乗らなかったが、一見矛盾するような難しい調整を友道厩舎は見事にやりきった。
ダービーの枠順が出る前、調教助手の大江祐輔くんに、こう声をかけられた。
「今回はバシッと仕上げたので、祐一さん頼みますよ。今度は攻めてくださいね」
自分が皐月賞で守りに入ってしまったことを彼もわかっていた。まだ枠順は出ていなかったが、どこに入ろうと攻める競馬をする。身が引き締まる思いがした。
木曜日の夕方、外出先で枠順をチェックすると、まさかの8枠17番。正直「終わったな」と思った。その後、過去20年のダービーにおいて2着すら一度もない“死に枠”だと知り、ダービーとの縁のなさを呪いたくなった。