“社会的弱者”が情報発信することの意義

「ダイバーシティ」「インクルージョン(あるいはインクルーシブ)」という言葉を耳にすることが増えた。これらは「多様な人々を認め合い、尊重し合うべきだ」「すべての人が排除されることなく、共存できる社会をつくるべきだ」という意味だが、こうした理念が社会的に浸透しつつある。

これを「大義名分」としてこの理念を受け入れたとしても、現実の社会でどこまで実現できるのか、実現すべきなのか、といった点では課題が残されているし、人によって見解も異なっているのが実情だ。

ジェンダーや人種の問題についても同様の議論が巻き起こっているが、障害者に関する問題は、人的負担、費用的な負担の問題が横たわっているため、議論が過熱化しやすい傾向がある。

「弱者は弱者らしく振る舞うべきだ」という潜在的な意識も人々の中に根強く残されてしまっており、彼らが声高に自分の権利を主張することに対して、拒絶感を示す人も少なからずいるのが現状だ。

そうした状況もあって、社会的弱者の支援に関して「(お金や労力をかけて)支援してやっているのだから、おとなしくしているべきだ」という意識が生み出されてしまう。

車いすユーザーが自力でタラップを上った「バニラ・エア事件」

今回のイオンシネマの問題と類似した参考になりそうな事例として、2017年にLCCのバニラ・エアで起きた搭乗拒否事件がある。本件では、航空会社と搭乗者の両者へ激しいバッシングが起き、論争も巻き起こったが、議論の大半は本質からずれたものだった。

この事例を振り返ることで、今回の問題の示唆となる点を抽出してみたい。

大きなジェット機の入り口につながる乗客の搭乗階段
写真=iStock.com/thomaslenne
※写真はイメージです

車いすユーザーの木島英登さん(2022年にくも膜下出血で死去)が奄美大島から関西空港へ向かうバニラ・エアの航空機に搭乗しようとしたところ、車いすを担ぎ上げてタラップの階段を上ることを危険視した空港職員に搭乗を制止された。木島さんはタラップを自力で這って搭乗した。

後日、木島さんはこの経緯をブログに投稿。朝日新聞が「車いすの人に階段タラップ自力で上らせる バニラ・エア奄美空港」という見出しで報道した。

バニラ・エアは対応に問題があったことを認めて謝罪した。当初は航空会社側に批判が集中していたが、木島さんが航空会社に事前連絡をしていなかったことや、他所でも同様のトラブルを起こしていた件が次第に明るみになると、非難の矛先は木島さん側にも向かった。木島さんは「クレーマー」「プロ障害者」と言われ、激しい批判を浴びる結果となった。