頭のいい人とは、どんな人のことを指すのか。フォーチュン誌上級編集長のジョフ・コルヴァン氏は「IQテストの数値が引き合いに出されることがあるが、IQの高さは仕事の精度や手際の良さを測る上ではまったく役に立たない」という――。

※本稿は、ジョフ・コルヴァン、米田隆訳『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

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「頭のいい人」とは、どんな人なのか

多くのものを含み、とてつもなく深い、「知能」という概念をここで少しのぞき込んで探求してみよう。

誰かを頭がよいという場合、それは何を意味するのだろう。直感的に理解はできても、じっくり考えようとすると、とても複雑であることに気づく。数字に強い人もいれば、言葉にすぐれている人もいるように思える。抽象的な概念にすぐれている人もいれば、具体的な知識にすぐれている人もいるように思える。

どうすればこうしたあらゆる種類の賢い人たちを一つの概念にまとめられるのだろうか。冷静にこの問題を考えれば、これまでずいぶん批判されてきた知能指数とかなり似た概念を、頭のよさの基本的定義としたくなるのではないだろうか。

過去百年の間に開発されてきたIQテストは、実際10のサブテストを用いて知能のさまざまな側面をとらえようとするものだ(サブテストの対象は、情報、計算、語彙ごい、理解力、画像の完成、ブロックデザイン、対象の組み合わせ、暗号、絵の組み合わせ、相似である)。

こうしたテストを何百万人もに実施し、研究者はそれぞれのサブテストの結果の間に相関関係があることを突き止めた。

IQテストは、人間のすべての能力を網羅できない

つまり、一つのサブテストの結果がよい人は、他のサブテストにおいてもよい結果を出すことがわかった。そこでその理由を探るためサブテストの結果に影響を与える一般的要因があるという仮説を立て、この要因を一般知能(G)と名づけた。この一般知能を測るものがIQテストだ。

学界の学識経験者からも、専門家以外の人からもこのIQは長年非難されつづけてきた。なぜならばIQテストで計測できなかったり説明できなかったりする事柄があるからであり、批判の多くは妥当なものだ。

たとえば、現実の世界では批判的思考法(クリティカルシンキング)は間違いなく重要なものだが、IQテストでは評価できない。社会的スキル、正直さ、寛容さ、知恵、その他、我々が価値を置き、よりよく理解したいと思う事柄をIQテストでは評価できない。いずれも検査の対象にはなっていないからだ。

作家や研究者たちはこうした批判にこたえるものとして、何年もかけて他の種類の知性と呼べる新しい概念を提案してきた。こうした中でもっとも著名な人物は、ハーバード大学のハワード・ガードナー教授で、同教授の多重知能(言語的知能、音楽的知能、ビジュアル=空間的知能、その他少なくとも五つ以上の異なる知能)という理論は大変影響力があるものだ。