美男美女カップル、アレクセイとユリアの出会い

アレクセイとユリアは1998年にトルコでの休暇中に出会った。二人とも1976年生まれなので、当時は22歳くらいだったことになる。そしてモスクワに戻った後も交際を続け2年後の2000年に結婚、二人の子供に恵まれた(1999年に出会い1年後に結婚という報道もある)。

ユリアは、将来の夫が、世界中のメディアで取り上げられるほどの有名人になるとは思わなかったと語っている。「私は有望な弁護士や野党指導者と結婚したのではありません。アレクセイという名の若い男性と結婚したのです」。これは彼女が頻繁に言っていることだという。

未来の夫のほうは、トルコで休暇を過ごしたとき、ユリアが現在の閣僚全員の名前を言えるという事実に魅了されたと語っている。

結婚前のユリアの経歴は、ほとんど知られていない。

確かなのは、ロシア経済大学国際経済関係学部を卒業したこと。その後インターンシップに海外に行き、大学院に進み、モスクワの銀行の一つで働いたと言われる。しかし卒業年も勤務先の名前も、明確には知られてない。

経済大学を卒業、大学院にも進んだが、結婚後は専業主婦に

ユリアは、夫アレクセイの両親のもと、枝編み細工の仕事を手伝っていたと語ったという。優れた教育は、キャリアに全く役に立たなかったようだ。

ただし、『ソベシェドニク』紙によれば、この会社の元従業員の女性は、ユリアがいたことを覚えていなかった。おそらく、彼女は単に家族経営の民間会社に登録されていただけで、実際には専業主婦として、家事と子育てにすべての時間を捧げていたのだろうと、同紙は述べている。

夫は結婚した2000年にヤブロコ党に入党したが、妻のほうも党員歴がある。この党は欧米的なリベラル志向のある党とされ、冷戦が終わった1990年代初頭に結成された。一時は三大政党の一つと言われたこともある。むしろ他二つ(プーチン氏の統一ロシア党、共産党)以外の勢力の結集だったようだ。この党のメンバーだったことは政治経歴になりうるものだ。

アレクセイがヤブロコ党を去った2007年は、一家にとって転機となった。アレクセイは国営企業の横領の捜査を開始し、ユリアは第2子を妊娠していた。その時から、彼らの人生が公になり始めたのだ。ちなみにユリアは4年後の2011年に離党したという。

妻はロシアの新しい有名人の第一秘書であり、助手であり、親友になったのだ。公式には彼女は、自分の役割を「日常生活と子育てを担当すること」と定義していた。