木村拓哉が演じたことによる父親像の変化
ただ、二重の母と息子の微妙な関係以上に、私が興味をひかれたのは、勝一という父親の存在だ。「戦中の日本を舞台にしたアニメで、妻を失ってすぐにその妹を娶る父親が出てくる」と聞いた人は、大抵の場合、旧来的な「家長」のイメージを思い浮かべるに違いない。家族の話を聞かずに自分一人で物事を決め、自分の都合をすべてにおいて優先する、権威的で高圧的な男のイメージを。
しかし、『君たちはどう生きるか』に出てくるのは、優しくて家族思いの父親だ。木村拓哉が勝一の声優を務めていることからも、強権的で高圧的な父親像を勝一に持たせたくないという意図がうかがえる。
現代人の目からみても、勝一は相当思いやりのある人物で、立場をかさに着た権威的な振る舞いからは程遠い。彼は、絶えず眞人や夏子の心身を気遣い、二人の関係性が良好になるように可能な限り取り計らいたいと願っている。
息子が学校で苦労していると思ったら学校に駆け込んで改善のためのアクションをとるし、息子が化け物に囲まれていると判断したときには率先して救い出そうと危険に飛び込んでいる。現代の父親でも、ここまでの行動がとれる人ばかりではないだろう。
家族だけでなく、家にいる使用人たちや、彼の経営する工場の従業員への配慮も見られる。優しさを言葉と行動の両方で示すことのできる、頼りがいのある人物だ。旧態依然とした軍部に対する怒りを口にする場面があり、柔軟で開明的な雰囲気まである。なんと、理解ある優しい父親だろう。
「理解ある優しい父親」にはうまく反抗できない
ここで眞人の視点になってみよう。眞人は、コミュニケーションがうまいわけでも、正義感が強いわけでも、力が強いわけでもない(註2)。そういう性格を持って、「理解ある優しい父親」の息子であることは、どんな感じがするだろうか。
眞人は、母親の死去の衝撃も、新たな母に抱く思慕と引っ掛かりがないまぜになった複雑な葛藤も、うまく受け止め切れていない。例えば父親が権威的で無理解なら、このフラストレーションや怒りをぶつけることで葛藤を処理することもできるだろう。だが、眞人の父は非常に優しく、言葉をかけるだけでなく行動で思いやりを示してくれる。だからこそ、眞人は父に感情的になれない。喪失感や寂しさ、家族関係のわだかまりを、理解ある優しい父にはぶつけられないのだ(註3)。
異界に行くまでの眞人は、勝一や夏子とほとんどまともに会話しない。反抗できないほど優しい父のいる家庭で、静かに押し黙るという消極的な手段のほかに眞人は何もすることができない。仮に反抗することができれば、父との対立を通して、喪失感や葛藤という「自分の問題」は否応なく顕在化するが、沈黙(あるいはケガについての小さな嘘)は問題の回避にしかならないのである。
(註2)公式ガイドブックの「自分にとって致命的な部分を隠さずに描く」という項目では、「今まで色々な映画を作ってきましたけど、一番楽なのは明るい元気な女の子が出てくる話です。その次は、正義感の強い体力の優れている少年が出てくる話です」。これらから遠い人物として、眞人は描かれている。
(註3)公式ガイドブック記載の企画書の1行目には宮﨑駿監督によって「エディプスコンプレックス」という言葉が挙げられて、父に対抗し母を手に入れるという後ろ暗い願望が背景にあるのだと示唆されている。しかし、こうした自己解説に目を奪われずに映画をみると、物語のスタート地点にあるのは「手に入れるべき母が死んでおり、理解ある優しい父には対抗できない」という構図であり、素直なエディプスコンプレックス的構図ではないことがわかる。