タワーの色が白とオレンジなワケ

工事中には、別のトラブルにも見舞われた。1958(昭和33)年春、国際航空運送協会(IATA)が東京タワーの高さに疑義を唱えたのである。

東京で開催されていたIATAの太平洋・アジア地区技術会議(航空会社11社55名。3月17日から4月1日開催)が、航空安全上の問題があるとして、塔の高さを66メートル低くするよう、運輸省航空局と気象庁に申し入れを行った。

大澤昭彦『正力ドームvs.NHKタワー』(新潮選書)
大澤昭彦『正力ドームvs.NHKタワー』(新潮選書)

羽田空港では、1959(昭和34)年秋から1960(昭和35)年末にかけて、パン・アメリカン航空、スカンジナビア航空、日本航空等の各社がジェット機の運航を予定しており、離陸時の支障になるとの主張であった。

通常のルートであれば影響はないが、離陸直後にエンジンが一つでも故障すると、浮力が落ちて急遽飛行方向を変更しなければならず、タワーに衝突する恐れがあった。IATAは、高さを削ることができないのであれば、法規で定めるよりも明るい航空障害灯の設置等を要望した。

法律上、60ワットの航空障害灯を取り付ければよかったが、要望を受けて、東京タワーでは1キロワットが6つ、75ワットが6つ、頂部には500ワットのライトが設置されることになった。

また、航空安全の観点から白と橙(インターナショナルオレンジ)で塗り分けることも要望された。日本電波塔側は、太陽の輻射熱の影響をできるだけ避けるため全体を銀白色に塗る計画だった(図は一九五七年八月時点のイメージ)。

塗り分けについては法律上の規定がなかったものの、自主的に白と橙に塗り分けられることになった。その後、1960(昭和35)年に航空法が改正され、高さ60メートル以上の建造物をつくる際には、航空障害灯に加えて色の塗り分けが義務化されることになる。

1958(昭和33)年10月9日、公募によって愛称が「東京タワー」に決定し(審査委員長徳川夢声)、同月14日にアンテナ取り付けが完了、12月23日に竣工しゅんこうした。

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