当初案では煙突のようなタワーだった
会社の設立と土地の取得に続いて塔の設計が行われた。設計は日建設計工務(現日建設計)が担い、構造設計については塔博士、内藤多仲が手掛けた。東京タワーは鉄骨造であるが、当初、内藤は鉄筋コンクリート造での建設を検討していた。
日本電波塔が発足する前年、ドイツのシュツットガルトの丘陵地に、高さ約213メートル(現在217メートル)のテレビ塔が完成した。この塔の構造が鉄筋コンクリートだった。
設計者で土木エンジニアのフリッツ・レオンハルトは塔の設計にあたって煙突からヒントを得ていた。「構造物は美しくなければならない」との信念を持っていたレオンハルトだったが、「煙突」と「美」は相反するように思える。
レオンハルトは、エッフェル塔のような末広がりの鉄塔は風景を阻害しているのではないかとの疑問を持っていた。むしろ煙突のようにまっすぐ空に伸びるスレンダーな塔の方が美観に資すると考えたのである。
シュツットガルトのテレビ塔を皮切りにヨーロッパでは鉄筋コンクリート造の電波塔が普及し、タワーの新潮流となりつつあった。
福島県にあった東洋一のタワー
鉄筋コンクリート造のタワーは日本にも先例があった。それが福島県原町につくられた原町無線塔だ(正式名称は逓信省磐城無線電信局原町送信所主塔)。
無線送信を目的として逓信省の設計で1920(大正9)年9月30日に完成した(送信開始は翌年三月)。高さ201.16メートル、直径は頂部が1.81メートル、基部が17.7メートルの細長い塔であった。その高さは、自立式の建造物としては東洋一といわれた。
1923(大正12)年9月の関東大震災時には、この無線塔からアメリカへ打電され、アメリカによる迅速な救済支援につながった。
内藤は、戦前に愛宕山のNHKラジオ塔を設計する際に原町無線塔を参考にしていた。当時、風力の影響については十分な研究蓄積がなかったことから、日本一の自立式タワーであった原町無線塔のデータを用いたのである。
だが、新しいテレビ塔は原町無線塔よりも100メートル以上も高い。また、日本では地震と台風の揺れを考慮しなければならない。検討の結果、鉄筋コンクリート造は重くなりすぎることや地震に耐えうる基礎の設計が困難であるとして断念。結局、鉄骨造で建設されることになった。