脱サラしてラーメン店を始めたものの当初は苦戦

ちょうどバブルがはじけた頃で、正弘さんの年収は毎年どんどん減っていた。ここを逃すともうチャンスはないと思った正弘さんは、多賀子さんに相談。当時の全財産をはたいてラーメン店をオープンすることにした。

多賀野の中華そば。1杯850円。トッピングはチャーシュー、ネギ、メンマ、ノリ。スープはしょうゆベースで、出汁は鶏・豚・昆布・煮干しなどからとっている。
筆者撮影
多賀野の中華そば。1杯850円。トッピングはチャーシュー、ネギ、メンマ、ノリ。スープはしょうゆベースで、出汁は鶏・豚・昆布・煮干しなどからとっている。

「儲かるかはわからないけど、行列のできるラーメン屋を作ろう」そう言って「中華そば 多賀野」はオープンした。

当時、西馬込に住んでいたので近くの物件を探し、東急線・中延駅の近くにあった小さなお店を借りることにした。中延駅周辺は人も多く、美味しいラーメンを作ればきっとお客さんは入るだろうと思っていた。

しかし、それは甘かった。

人は多かったが、大井町線から池上線の乗り換え客ばかりで、お店の前を人は素通りしていった。お客といっても友達が来てくれるだけで、地元のお客さんはほとんど来なかった。「この辺のお店は厳しいから頑張ってね」近所の人からはそう声をかけられた。

当時の「多賀野」のラーメンの価格は600円。すごく安いなという感覚だが、このエリアではまだ名もないお店の価格としては高かったのだという。周りには400円台のラーメンを出しているお店も多く、口々に高いと言われた。原価率は40%を超えていた。それでも一年間で10円しか値上げできなかった。

ずっと苦戦を強いられてきたが、愚直にラーメンを磨き上げ、少しずつ口コミが増えていった。

雑誌に取り上げられ、人気店の仲間入りを果たす

ある日、転機が訪れる。雑誌『FRIDAY』のラーメン番付というコーナーでランキングに入ったのである。雑誌発売日の翌日の土曜日から大行列ができた。初日にはいきなり30人が店の前に並んだのだという。

「念願の行列でしたがこれはやばいなと思いました。それから毎日行列ができるようになり、お客さんがどんどん増えていったんです。オープンから2年半かかりましたがようやくでした」(正弘さん)

二人でラーメンを作る夫の正弘さんと、妻の多賀子さん
筆者撮影
二人でラーメンを作る夫の正弘さんと、妻の多賀子さん

当時は携帯電話もほとんど普及しておらず、口コミだけでお客が広がってきた。この後に雑誌やテレビがたくさん取材に来て、一気に「多賀野」は人気店の仲間入りをした。豚骨ラーメンが全盛の中、魚介系のラーメンがブームを作り始めたのである。

行列が日に日に長くなり、このままでは近所迷惑になってしまうだろうということで移転をすることにした。2000年に荏原中延駅の近くにある現在の店舗に移転する。