笠置がハワイに着くと「買物ブギー」の歌詞が流行語になっていた

アメリカ公演自体は充実したものだったようで、ハワイでは「東京ブギウギ」や「買物ブギー」も大評判。日本同様、ハワイでも「ワテほんまによう言わんワ」や「おっさん、おっさん」は流行語になっていて、町を歩いていると、現地の人々から服部は「おっさん、おっさん」と呼びかけられ、笠置は「ワテほんまによう言わんワ」と話しかけられたことが服部の自伝で書かれている。

笠置シヅ子
写真=プレジデントオンライン編集部所有

また、ホノルルの国際劇場の公演では、灰田勝彦も郷土・ハワイに来ていたことで、灰田のスチールギターにより自作の「鈴懸の径」を演奏する場面もあったそうだ。

『ひばり自伝 わたしと影』によると、服部良一とひばりはその後、力道山のとりなしによって和解ができたという。服部も自伝で「美空ひばりの当時の悲憤が、彼女を大きく発展させ、今日の大をなす素因の一つになったという見方もできよう」と、いざこざを振り返っている。しかし、その一方で、笠置とひばりは仲直りできないままだったようだ。

美空のマネージャーも笠置のマネージャーも元吉本だった

ちなみに、渡米のときにも一緒だった川田義雄は、俳優、歌手、コメディアンで、またの名を「川田晴久」。美空ひばりの「師匠」で「芸能界の育ての親」と言われる人物で、『虹の唄』の中でひばりは「川田のアニキ」としてこの人物の話をたびたび書いている。興味深いのは、川田が戦前は吉本興業に所属していたこと。

笠置が渡米寸前に大金を使い込まれたマネージャーで、ドラマに登場する山下(近藤芳正)のモデルとなった山内義富も、もともと吉本興業所属だった。

笠置が渡米する直前にひばりが渡米し、本人より先に笠置の歌をそっくりの物真似ものまねで歌うと聞いたら、笠置サイドとしてはそれを阻止したいと考えたのも自然なことだろう。なぜ笠置とひばりのニアミスが起こったのかは、さまざまな推測がされているものの、事実が明らかになっている史料はない。

しかし、芸能とカネと、そこにまつわるドロドロした人間関係を掘り起こすと、あちこちに吉本興業が絡んでくることは当時の芸能事情を知る上で非常に興味深い事実である。

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