「一病息災」の心がまえで自分の体とよく「相談」しておく

作家の吉行淳之介さんは、人工水晶体移植手術の体験記『人工水晶体』(講談社)のあとがきで、「『一病息災』という言葉があるが、あれは健康な人間が病人を慰めるための言い方に過ぎないと私は思っている」と述べています。

持病の1つくらいある人のほうが健康に気を配るので、健康に自信のある人よりもかえって長生きをするものだという「一病息災」。1つでも持病を持っている人がこの言葉を健康な人から言われれば「好き勝手なことを……」と呆れたくもなるでしょう。

しかし、自分で人生の折り返しを過ぎたと思うころ、体のあちらこちらが不調をきたします。疲れやすくなった、傷がなかなか治らないと思うのは、体が自分に相談をしているようなものです。

体と相談したあとは周囲の人に相談し、次に医者に相談して、最終的な決断は自分がするしかありません。

定期的な投薬や治療が必要になり、そのための時間のやりくりや精神的なストレスに苛まれることになるかもしれません。そのときに健康な人から慰めの言葉として「一病息災」を聞く前に、健康でいる間に自分に言い聞かせておくといいでしょう。

頭痛
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老いを笑い飛ばせる人は生き方上手

年齢に関係なく、生き方上手のコツは「“初めて”という心の張りを持つ」ことでしょう。

今年、あなたは生まれて初めての年齢を生きています。今までやったことがあっても、幾度も行った場所でも、今の年齢でやったり、行ったりするのは初めてです。

以前から時間がたって、多くのことを経験しているので、対処の仕方や感じ方もレベルアップしているはずです。以前と全く同じ、ということはありえません。

“初めて”の新鮮さを楽しみにする心の張りがないと、「どうせ」や「つまらない」が口癖になります。そうなれば、泥水をたっぷり吸ったスポンジのようなもので、どんなきれいな水に浸しても、吸い込む能力はありません。

老いには気力、体力、記憶力が劣化する側面がありますが、その劣化を凌いで余りある知恵を蓄えられるのも老いの側面です。

何より老いは、赤ちゃんのころからの成長の1つの過程であり、そこには嘘や偽りがありません。安心して、堂々と年を取りましょう。