牛乳が余ったのは市場ではなく政府の失敗

まず、政府が将来の市場を指し示すというのだが、それが正しいという保証はない。たとえば2021年12月21日の記者会見で、岸田首相は「年末年始には牛乳をいつもより1杯多く飲み、料理に乳製品を活用してほしい」と述べたとのことである(「『牛乳を飲もう』大号令」『日本経済新聞』2021年12月23日)。

乳製品の需給は農林水産省によって統制されており、企業が自由に生産しているわけではない。牛乳が余ってしまったのは、資本主義が間違っていたからではなく、農水省の指し示した方向が間違っていたからだ。その失敗を国民が引き受けさせられるのはかなわない。

コップに注がれる牛乳
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気候変動や経済安全保障分野で、しなければならないことはするしかない。その意味では、政府の指し示す方向は正しいというより、前者は国際的約束で、後者は安全保障のためにそうするしかないことだ。しかし、これらはいずれもコストを上げる政策である。

温暖化を避けるために割高なエネルギーを用い、経済安全保障のために国内または同盟国内で補助金を払ってでも生産するということである。コストが上がれば、その分だけ実質所得は減少する。また、どのエネルギーを用いるのが二酸化炭素(CO2)削減に効果的か、政府が適切に方向を指し示すことができるとも思われない。

失敗し続けたデジタル戦略

日本では、太陽光発電が欧米の何倍ものコストになっている(木村啓二「日本の太陽光発電はなぜ高いのか」自然エネルギー財団ホームページ、2016年2月4日)。欧州では、よりコストの安い風力発電にシフトしている。これは気象条件にもよるので日本の政策の失敗とは言いきれないが、同じだけのCO2を削減するのに、どの方法がもっともコストが安いのかという視点はなかった。

デジタルについては、政府は効果のないデジタル戦略を繰り返してきただけだ(日経コンピュータ『なぜデジタル政府は失敗し続けるのか消えた年金からコロナ対策まで』日経BP、2021年)。なぜ政府が、民間に対して有効な方向性を示すことができると考えるのか、私には分からない。

念のために述べておくが、私は気候変動対策に反対しているわけではない。1970年代の公害対策で、コストをかけてきれいな大気や水を取り戻したことは素晴らしいことだったと思っている。政府は、コストをかけても気候変動対策や経済安全保障対策をしなくてはならないと国民を説得するべきで、これらの対策で成長できるというのは間違いである。

人への分配はコストではなく、未来への投資だというのは、心地よく聞こえるが、それが投資であるかどうかは、企業と個人が決めるべきことだ。企業は、必要があれば高い賃金を払うだろうし、必要がなければ払わない。人は、それが将来の所得を上げるものと認識できれば技能を身に着けようと努力するが、無駄な努力はしない。