クリエイターが抱えた不満や鬱積

このような異常な事態下では、いかに「管理能力」が高いかが社内の評価基準となる。また、「石橋を叩いて渡る」ような“慎重なだけの”人間が重用される。いわゆるクリエイティブとは程遠い考え方が横行するようになってしまうのだ。

そして③に挙げたように、コロナ禍は「対面」から「配信」や「オンライン」への移行に拍車をかけた。私が自著『混沌時代の新・テレビ論』(ポプラ新書)の49ページからの紙面で指摘しているように、2019年は「広告費」においてテレビがインターネットに抜かれた屈辱の年である。だが、あくまでもコロナ禍は、すでに始まりつつあったこの現象に拍車をかけたに過ぎない。しかし、このコロナ禍によってさらに「配信化」が進んだことが、人材流出に影響しているのだ。

撮影現場でかちんこを手に持つ男性
写真=iStock.com/guruXOOX
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ここでひとつ、押さえておきたいことがある。コロナ禍、そしてそのことによって起こった「社内の雰囲気」や「配信化」は行動経済学で言うところの「ナッジ」の要因でしかない。会社を辞めるということは大変なことだ。当然、優秀なクリエイターたちの心中には、「背中を押される」前に長年にわたって蓄積していた不満や鬱憤うっぷんがあったはずである。

そんなテレビマンの心中を、あきらかにしてゆきたい。

優秀なクリエイターほど「活躍する場がない」

一昔前までは、優秀な人間は独立してフリーや別会社の立場になったとしてもテレビに関わり続けた。いわば、テレビ業界のなかで人材が「還流」しているだけだった。

しかし、いまは違う。人材が、テレビ業界の外へと流出しているのである。映像制作を続ける選択をしながらもその主戦場は「地上波テレビ」ではなく「ネット」であるとか、制作能力や経験を番組作りではないところに活かそうというケースが増えている。

特に、30代や40代の本来であれば社内において一番活躍できるはずの年齢に辞めるということは、「その会社では活躍できない」もしくは「活躍する場がない」と思ってしまったからだと考えられないだろうか。もしそうだとすれば、それはなぜなのか。

理由としては、「ほかにやりたいことがある」ということもあるだろう。しかし、映像制作を続けたいと思いながら辞める場合には、以下の2つの大きな理由があると私は考えている。

① 「現場」に残っていたい? →「管理職」は嫌だ
② 映像制作の可能性が広がった=テレビ局にいなくてもよい? →いないほうが自由に伸び伸びとできる

①については、現場に残りたいのであれば残ればいいではないかと読者のみなさんは思うだろう。「現場に残る、残らない」は本人の意思次第ではないのか。そう考えるのが普通だ。しかし、いまのテレビ局では、人事に関して自分の希望が通ることは、ほぼない。一昔前のテレビであればそういった風潮もあった。「したければ、そうしてみれば?」という「おおらかさ」もあった。現在ではそれは皆無に等しい。