なぜクドカンは1986年を舞台にしたのか

それでも1986年は、令和との比較対象としてちょうどいい年だと思う。まず、「バブル好景気」「バブル崩壊」「天皇崩御による改元と自粛」よりも前であること。異様な好景気で浮かれて、札束で頬叩くような時代でもなければ、不敬と不謹慎を避けて過剰な自粛モードの時代でもない。大震災もまだ起きていない。

プロレスもプロ野球も地上波で中継されていたし、実力と人気の高いアイドルの百花繚乱りょうらん期で、歌番組も毎週放送されていた。萩本欽一の牧歌的なコント番組「欽ドン!」(フジ)・「欽どこ」(テレ朝)・「週刊欽曜日」(TBS)は終了している。不道徳がエンタメの一端を担った時代で、子どもが熱狂するお笑いがドリフの「8時だョ!全員集合」から「オレたちひょうきん族」へと完全にシフトし終えた頃だ。

白いノイズ画面が映るブラウン管テレビ
写真=iStock.com/HomePixel
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ドラマでいえば、80年代前半の定番ホームドラマから「不良の更生」「不倫に寛容」などの流行を経て、能天気なトレンディドラマが台頭する直前である。ついでに言えば、バラエティでも連ドラでも2時間ドラマでも深夜の情報番組でも、女性の胸と尻が地上波でばんばん野蛮に映し出されていた時代でもある。

昭和の粗暴さや不道徳をある程度引き継ぎながらも、新しい挑戦が採用されていく。要するに1986年はコンテンツの幅が広く、自由度が高く、子どもも大人もみんなテレビに夢中だった頃だ。

その数年後に「狂乱と悲劇と自粛の嵐」が訪れるわけだが、そんなことを想像すらしていない、きわめてのんきな頃の昭和を設定したのがよかったのではないか。不謹慎・不道徳はもちろんのこと、無配慮と不適切にひりつく令和と比べるのに最適なわけよね。

昭和と平成の比較はなんだか切ない

ちなみに「1986年」ドラマがもうひとつある。2020年にBSテレ東で放送した「ハイポジ~1986年、二度目の青春~」だ。リストラされ、妻には離婚を切り出された46歳の天野光彦(柳憂怜)。自暴自棄で訪れた激安ソープ店ですっ転び、気が付くと16歳の自分(今井悠貴)に戻っていた。それが1986年。

ハイポジとは高音質のカセットテープのこと(「ふてほど」でもカセットネタがあったね)。30年タイムスリップ&若返った光彦は好きな女の子とウォークマンで中村あゆみのヒット曲を聴くシーンがあり、甘酸っぱい青春リベンジとともに当時の歌謡曲がこれでもかと流れるドラマだった。

他にも、ゲーセンの息子(田中圭)の恋と友情と厳しい現実を描いた「ノーコン・キッド~ぼくらのゲーム史~」(2013年・テレ東)があった。1982年~2013年までの来し方を描き、1986年は高3受験生という設定だ。1986年限定でもタイムスリップモノでもないが、昭和~平成のゲーセン文化を振り返ることができ、平和な享楽から不穏なビジネスへと変遷したゲーム業界の憂いも描いていた。

どちらも「あの頃はよかった」と思わせる懐古の情と「あのときこうすればよかった」という後悔が滲み出る、ちょっとやるせない展開だった。昭和と平成の比較はなんだか切なくなっちゃうのよね、どうしても。