「私の中から他の大学はすべて消えました」
【神奈川】
1968年文学部に合格した女子(湘南)は浪人中から京都大を強く志望していた。
「専攻として国文をやりたいから京都という環境がすごくいいんじゃないかなと思っていました。(略)うちでは反対したんですけど」(『螢雪時代』1968年6月号)。
女性が実家を遠く離れて京都大へ進むことについて家族から賛成されなかった時代だ。約40年経った2006年、法学部合格の女子(湘南)はこう話している。
「京大のオープンキャンパスに行ったあと、私の中から他の大学はすべて消えました。他にない京大の雰囲気に圧倒されました。見に行くべきです」(『私の京大合格作戦2007年版』)。
彼女はオープンキャンパスに毎週のように通っており、そこから導き出した結論である。京都へ行くことになにも障害はなかったようだ。京都に魅力を感じる関東の受験生は少なくない。1987〜95年は桐蔭学園が合格者数トップを続けていた。この期間の累計で200人、2位湘南は95人。ダブルスコアだった。
かつては「開成を抜く」と語っていた桐蔭学園
桐蔭学園は92年東京大114人(3位)、東京工業大69人(1位)、一橋大46人(1位)、京都大16人(36位)となっていた。4校合わせて245人。難関の東京医科歯科大にも6人合格した(4位)。同校校長の鵜川昇氏は、「この生徒に全員、東大を受けさせたら東大合格者は開成を抜きます」(『週刊朝日』92年9月11日号)と豪語していた。
しかし、栄枯盛衰。2000年代以降、桐蔭学園からの難関大学合格者数は減り、聖光学院、栄光学園、浅野、逗子開成など男子校の後塵を拝するようになる。07年、農学部に合格した男子(厚木)は中学3年の修学旅行で京都をまわってすっかり虜になった。
「歴史が好きで、観光しているうちに『なんていい所なんだろう』と感動し、住みたいと思うようになりました。(略)中学3年にして高校も決まらないうちに『大学は京都大学』と決めてしまいました」(『私の京大合格作戦2008年版』)。
2009年に開校した公立中高一貫校では、中高の1、2期生から京都大に進んでいる。市立横浜サイエンスフロンティアは2013年、相模原中等教育学校は15年、平塚中等教育学校は16年に合格者を出した。