「学校群制度」の廃止によってなにが変わったのか
【東京】
1967年の都立高校学校群制度の導入は京都大合格者数に影響を与えた。①学校群以前の1963〜68年累計、②学校群以後の1970〜2015年累計、③学校群全廃後四半世紀経った2018〜23年累計の推移について3校を見てみよう。
富士2人→16人→2人、青山5人→13人→24人、小松川0人→5人→2人となっている。富士は西と、青山は戸山と、小松川は両国と、それぞれ長年進学実績が高かったところと学校群を組んでいたため、優秀な層が振り分けられた。学校群制度はグループ選抜を経て1994年に全廃され、高校を単独で受けられるようになった。
青山は2003年に東京都から進学指導重点校に指定され、難関大学対策に力を入れたため、京都大合格者が増えた。合格者数が突出した年が3回ある。1969年と87、88年だ。69年は東京大が入試中止となり、東京大志望者が京都大に進路変更した。68年から69年は日比谷9人→42人、麻布0人→16人。87、88年は東京大と京都大のダブル受験が可能となった。86年から87年では東京学芸大学附属6人→42人、開成6人→40人となっている。
「都立・西」が京大に強い偏差値以外の理由
都立では西が日比谷、戸山、国立よりも多い。その理由の1つにアメリカンフットボールがある。
京都大アメフト部には西出身者が2022年11人、23年8人いた。同部で出身校ランキング1位だ。2017年、西の生徒7人が練習に参加した。「練習では実際にパート練習に混ざってもらいましたが、大学生にも匹敵するレベルの高いスキルを持っており、コーチたちも大絶賛でした! マンツーマンでは、高校生たちが大学生に競り勝つ場面も見られました」(京都大アメフト部ウェブサイト2017年9月7日)。
2010年代後半、日比谷の東京大合格者が四十数年ぶりに50人以上を数えたり、上位10校に入ったり、メディアは「日比谷復活」と伝えている。こうしたなか2017年に文学部に合格した女子(日比谷)は、学校全体の東京大志向の強さから、こんな理由で京都大を選んだ。
「先生方がすぐ口をそろえて東大と言うことに違和感を覚えました。(略)もう1つの理由は作家・万城目学さんの存在です。彼自身、京大出身で、作品の中には京大生のサークルを舞台にしたものもあり、それらを読む中で、自然と京都という土地と京大に惹かれていきました」(『私の京大合格作戦2018年版』)。
2023年、開智日本橋学園、三田国際学園から初めて合格者を出した。2校は2017年に日本橋女学館、戸板女子を共学にして改称した学校の1期生である。