エベレスト登頂は「まだ登ったことがなかったから」
山に登る理由はいろいろあると思います。それこそ、100人いたら100通りの答えがあるかもしれません。
かつて、イギリスの登山家ジョージ・マロリーは、
「なぜ、あなたはエベレストに登るのか?」
と記者から問われ、
「そこにエベレストがあるからだ(Because it is there.)」
と答えたという逸話は有名ですね。
それから何十年後に、
「もう何百人も登った山に、なぜ大金をかけてまで挑むのか?」
と質問されたアメリカ登山隊は、答えに窮してこう返したといいます。
「まだ、そこにエベレストがあるからだ(Because it is still there.)」
プロスキーヤーのぼくが、なぜ70歳を過ぎてからエベレストに登ろうと思ったかというと、「まだ登ったことがなかったから」というのも、あながち冗談ではありません。
ぼくがエベレストの氷壁をスキーで滑ったのは1970年の春。37歳のときです。そのときは8000mのサウスコルがスタートでした。
以来、エベレストの「頂上」に登りたいという思いは、いつもぼくの夢のどこかにありました。
歳を取るごとに、すり減ったり消えたり、あるいはシャボン玉のように弾けて消えたりする中で、エベレスト登頂は最後まで残った大きな夢でした。
地球のてっぺんエベレストの頂上に立つなんて、究極の道楽だし、それができたらこれくらい贅沢な人生はないわけです。
ヒマラヤに登って「しまった」と思った瞬間
もともと、ぼくは「滑るため」に山に登っていました。
日本で最初にスキーリフトが誕生したのは終戦後で、進駐軍のために架けられたリフトでした。それまで、つまりぼくが子どものころは、「スキー場」という名前がついていても、雪の斜面を歩いて登って滑るのが普通だったのです。
父に連れられて、はじめて蔵王スキー場に行ったのは小学校四年生のときでしたが、いまのスキー場よりもずっと下にバスの終点があり、そこから温泉街までは荷物とスキーを担いでテクテク歩いたものでした。
樹氷で有名な蔵王のゲレンデには、いまのようにリフトもロープウェイもなく、山スキーのように斜面を登って滑るというスキーでした。
その後、大人になってから八甲田山や岩木山を滑るときも、富士山やエベレスト、南極の最高峰に挑戦したときも、当然ですがリフトはありません。
したがって、ぼくのスキーはいつも登山と一体だったのです。
そして、中高年になってからは、エベレストの頂上に立つことが人生最高の目標になりました。
「これができたら最高だ」と思えることに、スキーも登山も違いはありません。
いくつになっても登ってみたいと思える山は、世界中にまだまだあります。
エベレストのトレーニングでヒマラヤのチョー・オユーという8201mの山に登ったことがありました。そのときは、途中で「しまった!」と思ったんです。
なぜなら、山頂付近は緩やかな斜面が長く続いていて、「なんだ、スキーを持ってくればよかった」と思ったわけで、やはり、ぼくはとことん「スキーヤー」なんだなと思いましたね。