2つの組合がそれぞれ管理している
「このあたりは組合が持っている私有地なんですよ、全部」
この地で40年以上、バー「クラクラ」を経営し、新宿ゴールデン街商店街振興組合の理事長も務める俳優・外波山文明さんいわく、それは街の成り立ちと深くかかわっているという。
新宿駅前の闇市の人々は三光町(現・歌舞伎町一丁目と新宿五丁目の各一部)に移動させられ、やがて「新宿三光商店街振興組合」となる。また、新宿二丁目からも大挙して移転してきた闇市の勢力もあり、それがのちの「新宿ゴールデン街商店街振興組合」となる。現在、この二つの組合がそれぞれ管理している区画の総称がゴールデン街だ。
「もともとは終戦後の闇市なんです。新宿駅周辺にはいくつかマーケットが出ててね、いまの東口周辺に和田組というテキヤが仕切る闇市があった。それをどかして駅前をきれいにするための受け皿が花園神社の西側にあった空き地だったわけです。
和田マーケットに居着いて商売していた人たちとか、屋台を引いていた人たちを、そこに強制的に移動させた。でも、個人個人に土地を全部分けちゃったら収拾がつかないから、組合をつくって全体で土地を管轄しろということになったんです」
もぐりの風俗営業地域・青線だった
土地も路地も組合の私有地だが、街の南側にある「東京電力パワーグリッド」の変電所が建つ部分と、西側に整備された「四季の道」という遊歩道だけは異なる。
「四季の道は、もともと都電の引き込み線だったんです。新宿文化センターの隣に、いまは都営住宅の総合庁舎があるんですけど、そこに大きな車庫があって、靖国通りを走っていた都電が線路を通ってそこに向かう、と。僕が飲みに来始めたころはまだ線路があって、枕木もあってね。それをテーブル代わりにして、よく飲んでたんですけどね」
人が集まってきた当時のこの一帯では、ほとんどの店が飲食店という名目で売春を行う、もぐりの風俗営業地域・青線だった。
新宿二丁目から来た露天商たちは木造3階建てのバラックをつくり、3階を娼婦部屋としていた。対して、新宿駅から流れてきた三光町の多くは飲食店。元は木造2階建てだったが、赤線の儲り具合を見て3階部分の建て増しをして営業を始めたのだ。
現在「クラクラ」が入っている建物も元をたどれば売春目的で使われており、その名残があるという。外波山さんは店内の上方にある戸を指した。
「ここ、下から見ると2階建てなんですけど、本当は3階建てなんですよ。いまは僕の劇団の芝居の道具が入ってますけど。20年前に改装するときに半分だけ残して吹き抜けにしたんです」