社会貢献活動を通して『闘魂』とは何かを探る

亡くなった猪木さんも、人助けとか地球を守るということに対して本当に熱心に動いていたよね。震災時の慰問もそうだし、パラオのサンゴ礁の再生とか大みそかの炊き出し、バイオ燃料に水プラズマ……発想のダイナミズムとスケール感で猪木さんにかなう人はやっぱりいない。

そんな猪木さんの社会活動に俺はいつも感銘を受け勇気をもらってきた。そして少しでもその遺志を継いでいきたいと思い、国際支援社会活動にも取り組むことにした。

ビーチで惑星のオブジェを持つ子ども達
写真=iStock.com/FG Trade Latin
※写真はイメージです

具体的には「maaaru」というプロジェクトのアンバサダーとして、世界に3億人いるといわれている非・不就学児、つまり何らかの理由で学校に通うことができない子どもたちに対して寄付などの支援を呼びかけ、子どもたちの教育環境の改善に協力していく。

地域防災の普及活動では「自助」の大切さを広く伝えたいという思いが原動力だが、こちらの国際支援は「世界には十分な教育を受けられない子どもたちがたくさんいる」ということを、まずはみんなに知ってもらいたいと強く思ったことが活動のきっかけとなった。

これをやってみたい、あれをぜひみんなに知ってほしいという自分の中から湧き出る欲求に対しては素直に反応すべきだ。だって、この年になるとそんな欲求や夢や希望なんてなかなか湧いてこなくなるんだから(笑)。

その欲求が世のため人のためになることなら余計に躊躇しちゃいけない。

迷わず行けよ。行けばわかるさ。

思わず猪木さんの言葉をパクってしまったが、これからも社会貢献活動を通して『闘魂』とは何なのか、猪木さんの志を後世にどうつないでいくかを考えていきたいと思っている。

人に手を貸し感謝されることが生きる糧になる

人生の後半で大小の別なく人助けをするのって、実は「自分を救う」ことでもあるんだよね。

人を助けるということはいやでも応でも人と関わることになるから、まず孤独ではなくなる。人とコミュニケーションをとるのが苦手なオジさんたちでも、ちょっと人に手を貸すくらいはできるだろう。それで人から感謝されたら自分が社会の一員であることを再確認できる。これって生きていくうえで大切な糧になると俺は思っているんだ。

だって社会との接点が切れたとたんに認知症になる人もけっこう多いと聞くからね。

たしかに、自分が誰からも必要とされていないと自覚することくらいむなしいことはないよ。30年近く前の話になるが、1996年の年明けに新日本プロレスと契約更改したとき、俺は思い切って1年間フリーにさせてくれと会社に持ちかけた。nWoの一員として日米の両マットを主戦場にしたいと思ったからだ。

その前から会社への反体制を主張しヒールターンを成功させていた俺は、当然「新日本プロレスを離れてもらったら困る」と引き留められることを想定していた。ところが、会社からの回答は「わかりました。どうぞアメリカへ行ってきてください」。

俺は自分の存在があるからこそ新日本プロレス本隊の選手たちが輝けるんだと自負していたが、蝶野正洋は会社にはそこまで評価されていなかったのだ。

もちろん契約更改によってアメリカで思う存分暴れられるという気持ちはあったものの、「これだけ頑張ってきたのに、俺は会社に求められていない存在なのだ」という腹立たしさとむなしさは正直ぬぐえなかった。