子どもたちの過ごし方に「格差」が生まれている
運営主体によるばらつきや指導員の処遇問題などの課題を持つ、現代日本の学童保育。その課題に起因して、子どもたちの生活環境や過ごし方に、格差が生まれている。
経済力のある親の子は、塾や習い事に毎日のように通ったり、習い事的な活動の充実した少人数の民間サービスに通う。親がそれを選ばない・選べない子どもたちは、運が良ければ良質な公営学童・保護者運営学童などに通い、それがかなわない場合、祖父母による見守りや子どもだけで留守番をさせることになる。狭い空間に多くの子どもが入所している施設では子ども同士のトラブルも増え、楽しく豊かな活動も期待できず、通わなくなる子も少なくない。
入所希望者が入所定員を超えている場合、低学年の子を優先して受け入れるため、入所していた高学年の子どもを退所させる「追い出され児童」も出現している。学童保育の場合、乳幼児保育で使われる「待機児童」という用語は、実態には合っていないのだ。入所していた子どもたちが「追い出され」ている実態を、真摯に受け止める必要がある。
「小学生は、大人のケアや見守りなしに遊ばせておけばいい」のか
学童保育をめぐる問題を是正するにはより多くの公助が必要で、国の予算は増えてはいるものの、十分ではない。そこには学童保育の創成期から今も続く、社会的な認識の問題が潜んでいると石原教授は指摘する。
それは、小学生にどのような放課後や地域における生活を保障するのか、という問題が家族(保護者)の責任の問題としてのみ捉えられ、公的な責任に対する認識が欠如・軽視されてきたことだ。それが「小学生が保護者に見守られケアされていない時間に、専門職員が支援する必要があること」への理解の薄さにもつながっている。
「放課後や学校が休みのときなど、小学生には大人のケアや見守りは必要なく、自由に遊ばせておけばいい……という考えは根強く、学童保育の制度化を遅らせてきました。1947年に公布された児童福祉法で児童館が定められており、その整備拡充で十分ではないかと、学童保育の法制化(制度化)に国はずっと及び腰だった。しかし児童館では、学童保育の役割は担えない。児童館では通う児童の名簿がなく、出欠の把握をしません。職員は『来た子を相手にする』のが仕事で、必要人数配置や子どもとの継続的・安定的な関わりの考え方がない。施設の性質が、全く異なるのです」
これらの課題を改善するには、学童保育の必要性がより理解され、設備・運営に関する条件や基準をより向上させていかねばならない。そのためには、小学生の生活時間の支援を「子どもの権利」として認める、社会全体の意識改革が不可欠だ。
世界には、学童保育を日本と異なる認識と仕組みで運営し、子どもたちの生活インフラとして機能させている国がある。その一つがフランスだ。
次回ではフランスの学童保育制度を現地からルポし、日本へのヒントを探っていく。