出していい音と「アウトな音」がある

まずデタラメではありません。ジャズのアドリブにはそれなりのルールがあり、出していい音とアウトな音があるのです。

話題となったジャズ映画『BLUE GIANT』で主人公のサックスのアドリブに、音楽理論に詳しいピアニストが、「その音は間違っている」という場面がありましたよね。まさに「アウトな音」があるのです。

また、「思想云々」もまったく無関係とはいえませんが、そもそも抽象的な「音」で厳密な「思想」を正確に表現するのは無理。残るは「感情表現」。これはかなり近いのですが、それこそ『BLUE GIANT』の主人公の「感情に任せた熱演」はピアニストにダメ出しされちゃっているのです。ジャズでは、「感情や気分」の表現もルールに従う必要があるのですね。

コード進行上で楽しむ自由

ジャズは思いのほか西欧音楽の影響が強いのですが、その西欧音楽はメロディの背後に必ず和音(複数の音、「コード」ともいう)がついています。「ハーモニー」のことですね。ロックあるいはフォークでも、ギターで複数の弦を押さえ同時に「じゃらん」と鳴らすあれです。小学校でもドミソの音は同時に鳴らしてもきれいに響く「協和音」なんて教えられましたよね。歌い手さんは、それを伴奏として歌うのです。

ギタープレーヤー
写真=iStock.com/deepblue4you
※写真はイメージです

たとえば、ギターが「ドミソ」とかき鳴らしているとき、その伴奏に「乗せられる=ハモる音」は限定されますよね。ですからときどきバックの和音を変えていく必要がでてきます。そうしないと音楽が醸し出すムード、雰囲気が単調になってしまうからです。

この単調さを避けるため、バックの和音を少しづつ変えていくことを「コード進行」などといいます。ジャズに芸術的ともいえる要素を付け加えた天才アルト奏者、チャーリー・パーカーは、原曲の「コード進行」を維持しつつ、元の音(旋律)とは異なる音列をその場の閃きで連ねていく、高速演算ゲームのような離れ業を行ったのです。

結果として、一聴、何の曲だかわからないという敷居の高さが生じたのですが、楽曲の基本構造は同じですから、聴き慣れれば一種の納得感が生じるのですね。ジャズファンが「そんなことは当たり前」とばかりに演奏を楽しめるのは、こうした理由があるからです。

映画『BLUE GIANT』で主人公が「ダメ出し」されたのは、感情に任せ「コード進行」を外したからなのです。