『源氏物語』には作者の名前が書いていない

紫式部といえば『源氏物語』の作者ですね。でも、それが分かるのは『紫式部日記』が存在していたからです。平安時代の物語は文学としての価値が低く、作者の名前などどこにも記されません。ところが、『紫式部日記』に筆者が『源氏物語』を書いていたことが記してあったのです。

『紫式部日記』は、紫式部の個人的な日記ではありません。最も大きく取り上げられているのは中宮彰子御産の記事です。出産の時を待つ道長邸の描写に始まり、皇子誕生とそれに関わる数々の儀式や祝宴、よろこびに沸き立つ邸内の様子、宿願を果たした道長、大役を務めた彰子の姿を描きます。

『紫式部日記』には公的な話と私的な話が書かれている

小迎裕美子・紫式部著、赤間恵都子監修『新編 人生はあはれなり…紫式部日記』(KADOKAWA)
小迎裕美子・紫式部著、赤間恵都子監修『新編 人生はあはれなり…紫式部日記』(KADOKAWA)

しかし、主家の記録を書き留めるだけではありません。栄華の最中に身を置きながら、周囲への違和感を覚える紫式部は、自身の孤独な思いも所々に記していきます。この作品は、中宮女房としての視点で記録した公的な部分と、自分の内面を見つめて書いた私的な部分が混在した日記なのです。

『紫式部日記』の中で私的な部分がまとまって記されているのが、消息文と呼ばれる記事です。誰かに宛てた手紙の文体で、自分の周りにいる人々のことや自分自身の考えを記しています。その中でも、和泉式部いずみしきぶ赤染衛門あかぞめえもん、清少納言の三人を批評した三才女論は特に有名です。同性に厳しい紫式部ですが、最終的に自分自身を内省する視点を持つ人で、女としての人生の不条理を見つめていたことが分かります。

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