ライター・編集者の中川淳一郎さんは、30代のころから「50代を迎える前にセミリタイアする」ことを目標に掲げ、47歳で佐賀への移住を実現した。ところが、移住から3年を経て、「仕事に邁進する日々」に対する未練が生じ始めているという。中川さんが抱いた「感情」の正体とは――。
夕暮れ時の唐津市の風景
写真=iStock.com/Takatoshi
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夢見心地から「現実」に引き戻される感覚

この3年ほどの期間――隠居生活を開始し、東京から佐賀県唐津市に拠点を移してからの間、ずっと夢を見ているような感覚があった。しかし2023年11月、ある仕事を獲得したことで、いきなり現実社会に引き戻されたような気分になると同時に、焦りを覚えた。

「ある仕事」とは、広告記事を毎月数多く作成していく業務である。この仕事のリモート打ち合わせを初対面の若い人々としたところ、なんというか、久々に「新しい時代の人々と付き合っている」という感覚に戻ったのだ。打ち合わせを経て、「やらせていただきます」と正式に受注することになり、12月から業務が動き始めた。それも編集者や制作ディレクターといった取りまとめ的な関わり方ではなく、ライターとして自ら手を動かし、一本一本、記事を書いている。

なぜ、「夢を見て」いたような感覚をおぼえているのか。思うに、唐津での暮らしの非日常感、ある種のモラトリアム感がそうさせていたのだろう。

セミリタイアを決意した理由

私は2020年8月31日をもって「セミリタイア」をした。2013年の正月、タイ・バンコクで過ごしていた折に、私は妻へ「2020年8月31日を節目として大半の仕事を手放し、オレはセミリタイアする。そこから先は仕事第一ではない穏やかな人生を送りたい」「それを楽しみに、あと7年9カ月は耐える」と宣言した。このとき私は39歳だったが、ネットニュース編集者として年間364日は働いていた。

そして「これほど苛酷な労働生活、50歳を過ぎたらまともに続けられるわけがない」と感じ始めていた。加えて、日進月歩で変化が起こり、若者が続々と参入してくるネット業界のなかで、50歳になっても最前線に立っていられるとは到底思えなかった。「扱いづらいロートルになって未練がましく居座るより、才気あふれる若者に席を譲ろう」「古臭い人間、終わった人間として追い出されるのではなく、自分から早めに撤退しよう」――そう決意した。