2020年、佐賀県唐津市に拠点を移す

2020年8月31日を刻限にした理由は、東京五輪も関係している。「ネットニュース編集者の仕事の集大成として、2020年の夏に開催される東京五輪を全力で報じよう」と考えたのだ。そしてキリよく8月31日をもって、もっとも時間をかけていた大手出版系ニュースサイトの編集業務から降りると決めた。

こうして「やめる日付」を決めると、仕事がつらくてもなんとか踏ん張れる。以降は新年を迎えるたびに「あと6年か」「あと2年になったぞ」「やっと来た。2020年だ!」なんて妻と確認し合い、残り期間が短くなることを喜んだ。

実際は新型コロナが影響して、東京五輪の開催は2021年になってしまったが、「2020年にセミリタイア」の設定は変えなかった。8月31日、もっとも負荷の高かったニュースサイトの編集業務が終わり、私は編集部から盛大に送り出してもらった。もう週に2日、編集部のある神保町まで通勤する必要もない。あとは在宅で別の編集業務(これは2021年2月まで続けた)にあたりつつ、連載の執筆などをこなしていけばいい、という状況になった。

そして2020年11月1日「もはやこの大都会に未練はない」とばかりに東京を脱出し、縁もゆかりもない佐賀県唐津市へ拠点を移した。いつまで暮らすか決めずに来たのだが、結局、現在に至るまで3年2カ月ほど住み続けている。

自由な唐津での生活

唐津に来てからの仕事は執筆が中心で、基本的には自分の好きなことを自由に書き続けている。いわゆるコラムってヤツだ。あとは、広告会社のオンライン会議にメディア人として隔週参加し、メディアの現状やウケるネタの傾向、世間の「風」を伝える。1~2カ月に一度は報道番組「ABEMA Prime」出演のために東京へ行く。東京滞在中は連日のように飲み会が入る。1日に3回、酒席をこなすこともある。

唐津に戻ってくれば、「おぉ、中川さん、おかえり」「今晩、飲みに行かない?」といった調子で現地の友人から誘われることも多い。ときにはイベントを一緒におこなったり、実家に遊びに行かせてもらったりもする。

また、唐津という街がもの珍しいこともあってか、もともとの友人・知人だけでなく、X(旧ツイッター)で知り合った人も続々と訪ねてくるようになった。先日は東京から唐津に戻る際に、Xで知り合った男性から「オレも一緒に行きます」と声がかかり、福岡空港で合流した後、共に唐津に向かう……なんてこともあった。彼は5回目の唐津滞在で、今回は3泊するという。もちろん唐津の友人たちも交えて、夜ごと飲み会で盛り上がった。

いかの活き造り
写真=iStock.com/Yasuo Iwami
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2023年は2月から5月まで、タイとラオスに長期滞在もした。日本の「マスク圧」と「ワクチン圧」がイヤだったからである。タイとラオスでこの2点に干渉されることはなかった。「日本よりよほど『大人』な国じゃん」と毎日のように思った。5月8日、新型コロナの扱いが感染症法上の「五類」相当になったことを受け、「ここからは自由だ」と日本に戻ってきた。もしもこの国がワクチン3回接種証明や陰性証明の提示といった水際対策を継続し、「お願い」という名目の実質的なマスク強要を続けるのであれば、帰るつもりはなかった。2024年になっても対策を続けるようだったら、もうやけっぱちになって世界各国を転々とする覚悟もできていた。