「これは清和会の問題なんだ」
首相が主導した対応は、12月6日に各派閥の政治資金パーティーを当面、自粛するよう指示し、7日に自ら首相(総裁)在任中は岸田派を離脱するという程度ではなかったか。
しかも、派閥離脱は、自民党が1988年のリクルート事件などで高まった政治不信に対応するために策定した「政治改革大綱」(1989年5月)に「総裁、副総裁、幹事長、総務会長、政調会長、参院議員会長、閣僚は、在任中派閥を離脱する」と明記されている。首相がこれに反して派閥会長を続けていたのを改めたに過ぎない。問題解決への方途ではないだろう。どこか方向感覚がずれている。
その首相が突如、「安倍派排除」に踏み切ったのは、12月9日夜に首相公邸で麻生太郎副総裁と会談したのがきっかけだった。関係筋によると、麻生氏は「これは清和会(安倍派)の問題なんだ」「派閥の資金パーティーを止めたり、(首相が)派閥を離脱したりしても、大した効果はない」と説いたらしい。
「安倍派排除」への恨みと不満
首相は翌10日午後、都内のホテルで萩生田氏と会い、安倍派4閣僚の交代を切り出しつつ、「税制、予算、大切な仕事にしっかり対応してほしい」と政調会長留任を要請した。萩生田氏は「政調会長の責任も、閣僚と同じか、それ以上に重い」と断ったという。
首相はその後、首相公邸で森山裕総務会長、宮沢洋一税制調査会長、茂木敏充幹事長、木原氏と順次会談したが、首相が「安倍派政務3役全員交代」を検討しているかのように朝日新聞などに誤報され、安倍派との無用な摩擦を招いたのは想定外だった。
結局、安倍派の政務官6人中5人は職にとどまったが、派内には「安倍派排除」への恨みや不満は強い。首相が今後、政権運営や次期総裁選において安倍派のまとまった支持を受けるのは難しくなるだろう。