×災厄が起こる年 ○挑戦する年

厄年のとらえ方として、自分に降りかかった災厄と向き合うための材料、そして通過儀礼的な側面があると述べました。では実際に厄年が迫っている人は、どのような心構えでいればいいのでしょうか。厄年だから必ず災厄が降りかかるということはありませんが、自分や家族が心配だという人は儀式に参加するのも一考です。

まず挙げられるのが、自分の身についた厄を振り払う・落とすために、神社で正式参拝をする、あるいは寺で護摩祈祷をしてもらうという方法です。西新井大師(東京)や成田山新勝寺(千葉)、出雲大社(島根)、八坂神社(京都)など、全国各地に厄除けの祈祷をしてくれる寺社は数多くあります。いつも通りの初詣で十分だと思う人はわざわざ厄払いを受ける必要はありません。

こう言うと「そもそも、厄年なんて気にするメリットはあるのか」と思う人もいるかもしれませんが、その質問には「はい」と答えます。42歳当時、私はバッシングを受けていたものの、自分には落ち度がないと考えて態度を改めませんでした。その結果、辞職に追い込まれたわけです。厄年にさしかかっていることを少しでも意識して、自分の年齢と役割を考えていれば、強硬な態度を変えるなど、違った対処の仕方もあったように思います。

一方で「災厄を恐れて慎重に過ごすべきか」と聞かれたら、私は「いいえ」と答えます。厄年とされている年齢は、社会や家庭に対して自分の果たすべき役割が変わる年齢ともいえるのではないでしょうか。人生のターニングポイントと意識して、よりよい方向に転換するチャンスと捉えるくらいがいいでしょう。

かの徳川家康は、41歳(1582年)の時に本能寺の変が起きて織田信長が亡くなり、43歳の時(84年)に羽柴秀吉らと対立。小牧・長久手の戦いを起こしました。いわば“秀吉のいち臣下”にあらざることを家康が表明した戦であり、この厄年で打った布石が、約20年後の江戸幕府成立に活かされたといえます。

「災厄が起こる年」ではなく「挑戦する年」――そう意識を変えれば、厄年が人生の転機になるはずです。

(構成=田中仰)
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