日本で厄年が信じられてきた歴史は古く、平安時代にはすでに記録がありますが、庶民に広がったのは江戸時代のことです。男性42歳、女性33歳が「大厄」という認識が定着したのも江戸時代。42歳は「死に」、33歳は「散々」の語呂合わせでした。

当時、男性42歳は家長的立場になる年齢、女性33歳も出産を終えた主婦として家庭の中心人物になる年齢でした。立場や役割が変わりやすい年齢にさしかかると、厄年であることを実感させるような事件に遭遇することも珍しくありません。何の宗教的意味もない語呂合わせで成立した厄年ですが、人々は自らの体験を通してその存在を裏付け、後世に伝えてきたのです。

年末年始に厄除け・厄払いをするという慣習が一気に全国に広まったのは意外と新しく、戦後のことで、ある地方寺院がきっかけでした。65年頃、栃木の惣宗官寺が「佐野厄よけ大師」と新たに命名され、厄除け・厄払いを前面に打ち出します。そして72年、岩槻(埼玉)から宇都宮(栃木)まで高速道路が開通し、佐野藤岡インターチェンジが完成。東京近郊在住者が参拝しやすくなったこと、さらにテレビCMが関東地方を中心に放送されたことが、厄年の普及に一役買ったと考えられます。

ハレとケの世界観に代表されるように、日本人はもともとお祭りが好きです。そんな国民性も影響してか、年末年始のいちイベントとして瞬く間に広がっていきました。

理不尽なときに厄年は役に立つ

新年に厄払い・厄除けをしてもらえば災厄を避けられる――そう確信している人は少ないでしょう。明確な意味を見つけにくい習俗がなぜ受け継がれてきたのか。じつはこの問いに、厄年の正体が隠されています。

2024年の厄年一覧

先ほど述べたように、私の厄年は散々なものでした。いわれのない噂によって仕事が突如なくなったのですから。同じように、人生がずっと順調という人もいません。病気になったり、会社が倒産したり、借金をしたり……生きていれば誰しも苦難に直面します。そうした逆境を乗り越えていく際、人は自分を納得させる理由を求めます。私はあの苦しい日々が厄年によるものだったと気づいたときに、気持ちがスッと楽になりました。厄年に結びつけることで半ば冗談話として話せるようになりましたし、あの出来事があったから新しい道がひらけたのではないか、とさえ思います。生きていくうえで、意外にも「こじつけ」は効果的であると思います。なぜ私だけこんな目に……そう思ったときに、自分を納得させる何か。その意味で厄年は、必要とされてきたから残った信仰といえるでしょう。

加えて、成人式や還暦と同様に、厄年を通過儀礼と見ることもできます。社会人になると、日常に忙殺され、時が経つ速さに驚かされるものです。多くの人は自分の変化に無自覚なまま、年を重ねていく。その点、厄年には節目を感じさせる役割があると思います。

特に現代は昔に比べて、冠婚葬祭といった年齢を実感するイベントが縮小傾向にあります。結婚しない人にとっては、成人式を過ぎたら還暦まで何のイベントもないということになるでしょう。

厄年が必要とされてきた理由は、通過儀礼を求める日本人の性質とも関係しているかもしれません。