過去のデートがうまくいかなかった理由

ゾラはこの話題に慣れてくると、10年間にわたってほぼ切れ目なく誰かとデートしてきた、と話してくれた。「いい人にめぐり会えないんじゃないか、と焦り始めてはいるけど、誰でもいいから妥協する、なんてつもりも絶対にない」と言い切った。

私たちは、先ほど紹介したゾラの重要な問い――デートにまつわるトラブルのどれが私の行動のせいで、どれがたまたま起こったことなんだろう?――に答えるために、セラピーに取り組んだ。私がいつもやるように「五分五分」の地点から始めて、過去のデートがうまくいかなかった理由を挙げてもらった。

では、サボタージュではなかったわかりやすい事例を挙げよう:単純にウマが合わなくて別れた、将来に対する考え方が合わなくて(ゾラは子どもがほしくないけど、相手はほしがっていた、などで)別れた、性欲が薄れるととくに絆がないことが判明して別れた。

では、「ゾラ」が原因だったわかりやすい事例を挙げよう:「うまくいかない」という恐れからデートを断わってしまった、ゾラが新しい恋人と親密になれると思って繊細な情報(自分自身の嫌いなところ)をすべて伝えたのは、もしかしたら相手を遠ざけるためだったのかもしれない。

割れたハートのイメージ
写真=iStock.com/portishead1
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パジャマのままデートに行った

ほかにも、もっとわかりづらいサボタージュもしていた。

ある日、ゾラは「パジャマのままデートに行ったことがある」と言った。時々セラピーのときも着ている、日中に着てもおかしくないおしゃれなパジャマスーツではない。クリスマス用のパジャマに虫食いセーターで出かけたのだ。理由は「おしゃれしていようがいまいが、ありのままの私を好きになってほしいから」。その気持ちはわかる。ずいぶん長い間、女性たちは他人の目を引くように、魅力的に映るように装わなくてはならない、と教わってきた。

そんなの納得できない。なぜありのままの自分じゃダメなのか? なぜ素のままの自分を愛してもらえないのだろう? そういうものに「クソ食らえ」という姿勢は力をくれるし、フェミニストとして、私も心から賛同する。でも、セラピストとしては、知っているのだ。拒絶を恐れている人、「拒絶される」と思い込んでいる多くの人が、デートに行って、まだ始まってもいないのに――たとえば――何の努力もしないことでぶち壊してしまうことを。ゾラの話も、その一例のように聞こえる。

想像してみてほしい。努力してくれた人との初デートと、起き抜けの姿でやってきた人との初デートを。それぞれの装いがどんなシグナルを送っているか、考えてみてほしい。

努力するかどうかで、届くメッセージは違う。「私は自信に満ちている。自分をケアするのが好きだし、このデートは努力するに値すると思ったの」。努力しない人はおそらく……それと正反対のメッセージを送っている。