「紙パルプの需要急増」で被害が再発

大正後期に入ると、人喰いクマによる被害はやや落ち着いて「小康状態」となるが、昭和期に入ると再び増え始めた。

それまでとは異なり、人の住む地域での事件よりも、ヒグマのテリトリーで人が襲われるケースが増えている。

先述した通り、紙パルプの需要が増えたことで、北海道・樺太の森林が切り出されるようになり、造材人夫がヒグマに襲われる事件が続発するようになったのだ。

昭和9年に起きた次の事件は、まさに凄惨の極みというべきだろう。

胃袋から「頭髪のついた肉片」「軍手をはいたままの指」が…

「滝ヶ平勝(28)君は、昭和6年度補助移民として岐阜県から入地、本年1月生まれた長男と親子3人暮らしで、19日午後3時頃、同地西一線人家をさる200間くらいの杉野久松氏所有の山林内で伐木中、突然熊は同人の顔面に飛びかかり、助けてくれと三声叫んで打ち倒れた」

「約10間ほどへだてて角材搬出していた清水正一君が見て驚く瞬間、熊は清水の使用馬に飛びつき、約50間も追いかけたが巧みに逃れる馬を尻目にかけ、再び元の個所に引き返し、倒れている滝ヶ平をくわえ、100間くらいの奥山に引きずり込み、頭部手足を喰った後、穴を掘って埋めたもので、逃げてきた清水の急報により、落民が直ちに捜索に出動」

「ちょうど滝ヶ平の死体を埋めた個所に寝ている熊を発見するや、熊は猛然立ち上がり捜索隊を襲わんとしたが、清水、岩松君が素早く発射した一弾が見事、熊の心臓を貫き、さすがの猛獣もその場に倒れた」

「一同この熊を解剖してみると、胃袋の中に今喰ったばかり被害者の頭髪のついた肉片や、軍手をはいたままの指など現れて、正視するに忍びなかった。ちなみに熊は8歳以上のもので、体重90貫の稀に見る巨熊であった」

(「グロ・熊の胃袋に頭髪、肉片や軍手 仇を打ったがこの無惨」「北海タイムス」昭和9年11月24日)

軍手
写真=iStock.com/stoickt
胃袋から「頭髪のついた肉片」「軍手をはいたままの指」が……(※写真はイメージです)

このように見てくると、開拓期においては、人間の経済活動とクマによる人的被害に相関関係があることは明らかである。

しかし現在の状況は、当時とはまったく異なり、むしろ人間の経済活動が鈍化あるいは縮小したために、クマによる被害が増えているとも考えられる。

ひとたびヒグマが食餌に窮すると、見境なく人間を襲い始めるのは今も昔も変わらない。

これを防ぐには、駆除によってある程度個体数を調整することも、やむを得ないのではないだろうか。

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