専門分野がないジャーナリストはありえない

これは日本と海外の認識の違いだ、と言う人もいるかもしれませんが、そういったところが日本国内においても結果として出ています。世の中にはちゃんと専門的知識のある人がいます。そうした人たちが今はネットで情報発信できてしまいます。マスコミよりもはるかにまともな意見がネット上に散見しているのは明らかなことです。

また、事実として、日本のジャーナリストと称する人々は海外ではジャーナリストにはなれません。ジャーナリストと呼ばれるためには、専門分野を持っていることが必要であるのが世界標準だからです。

日本では、たとえばNHKのアナウンサー出身であるだけのような、まったく専門分野のない人であってもジャーナリストを名乗ることができます。これは世界標準ではありえないことです。

それに類するある日本のジャーナリストの著書を見てびっくりしたことがあります。参考文献の記載がないのです。

「何でも知っている凄い人」というイメージで売り出し、確かにいろいろ多岐にわたって書いているのですから、著書に参考文献が載っていないなどということはありえません。

一般常識すら欠けているジャーナリストも

これは、論文の書き方をきちんと習っていないからだと思います。“学歴”がないので論文の書き方を知らないのでしょう。

論文のなかで人の意見を書くことには何の問題もありません。ただし、論文の書き方の基本、というよりも一般常識として、人の意見を書くのであれば参考文献を明記し、自分が書いたなかのどの部分が人の意見かということは明らかにしなければなりません。

髙橋洋一『数字で話せ! 「世界標準」のニュースの読み方』(MdN)
髙橋洋一『数字で話せ! 「世界標準」のニュースの読み方』(MdN)

論文は、ここは人の意見、こちらは自分の意見であると明示されていることが基本です。参考文献がたくさんあること自体はごく当たり前のことです。夥しい数の参考文献が記載されていることは、問題のあることでも恥ずかしいことでも何でもなく、記載しないことの方がおかしく、常識を疑われます。

参考文献を記載することなく書いてしまうと論文としては体をなしませんから、そういった論文ないし著書はその時点でリジェクトされます。参考文献をちゃんと記載することで、該当する部分は自分の意見でないということもはっきりするでしょう。情報に対する自分自身の姿勢の確認という意味でも、かえってすっきりするのではないかとさえ思います。

はっきり言ってしまえば、日本のジャーナリストの書くものは、ほとんどが他人のデータと意見のパクリです。ほとんどが参考文献のパクリによってできあがっています。日本のジャーナリストはそのレベルである、ということも知っておいた方がいいでしょう。

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