彼女自身のSOSであるように聞こえた
私の理想は店内のお客さん何人かが隣ママのところに集まり、何を言うでもなくただ笑顔で「OK、OK」と笑顔で隣ママにみんなでハグできたらいいのになと思いました。「やめなさいよ! それ虐待ですよ!」と叱るというような、敵意を表明した伝え方だと、隣ママはさらに追い詰められて子どもにもっと強く当たるような気がするからです。
つまり隣ママの尋常ではない口調と声量は、彼女自身のSOSであると感じたのです。
隣ママの、幼児の子どものことはガンガンに詰めて泣かせているのに、パパには普通の口調で優しく話しかけている様子も耳に入ってきて、この夫婦関係の何かしらのわだかまりの渦が全部この上の子に吐き出されている感じがビンビンしました。幼児が目の前でガン詰めされていたら、父親的な立場の人にはフォローしてもらいたいと思うのですが、この夫にはその素振りは一切なく、まるで目の前で何も起きていないかのような態度で頼りない。
子どもにブチギレしても誰にも止めてもらえず、放ったらかしでつまり「しつけ」の部分を丸ごと自分がやらなければいけないという重荷を背負っていると、「その重荷を私にだけ課すな」という本来パパ(身近な大人)へ向けるべき怒りが子どもに向けて吐き出されることは珍しいことではありません。こういった光景は、家族問題の書籍でよく登場します。そういった方向で見ると、隣ママの声は悲鳴に聞こえました。
行動を取ることはできなかった
私はといえば、そんなことをグルグル頭の中で巡らせながらも肝心の行動はとることができず、結局私のとった対応は「楽しそうな家族を見せる」でした。
その日はたまたま、私も娘も息子も、フィーリングが合って絶好調でした。家族全員がご機嫌で楽しい気分、っていうのが合致していました。
3人のテンションが絶妙に合い、何を見ても面白くて、ファミレスまでの道でも銅像やポスターを見て爆笑しながら歩いてきたところでした。それを利用して、隣ママのボイスを跳ね返すようなイメージで、娘と息子が笑いそうなことを言って笑わせることにしました。
2人にスマホを渡して好きなようにゲームさせたり、食事が到着したあとも、とにかくしゃべりまくってゲラゲラ笑いました。隣ママのヒステリックボイスに圧倒されてせっかくご機嫌だったうちまでシーン……と静まって元気をなくしたくない、というのもありました。
私たちがしゃべっている間も、隣ママはこちらを気にすることなく子どもを叱っていましたが、しばらくして帰り支度をして帰っていきました。
その瞬間、私は思わず「ハーッ」と息を吐いてしまいました。