米食より洋食で脚気が改善

高木は帰国後、脚気はたんぱく質が少なく糖質が多いときに起こると主張し、これを確かめようとしました。

そこで海軍の脚気患者10名の半分を米食中心、もう半分は肉を含む洋食にしたところ、洋食群の脚気が改善しました。

さらに、遠洋航海に出る兵士でも、同様の試験を行ったところ、今までの食事をしていた戦艦では25名が亡くなったのに対し、洋食を食べさせた戦艦では1人も死亡者がいませんでした。

これらの結果から、1883年(明治16年)、高木は脚気の「栄養原因説」を提唱したのです。

これに反論したのが森です。森が留学したドイツでは、細菌学の研究が盛んで、脚気も伝染病の1つだと考えられていたため、森も脚気は感染症だと疑いませんでした。

そして、高木の説は、統計の取り方などに不備があるなどとして認めようとせず、陸軍では今までどおりの米食を続けさせました。

高木と森の論争は決着がつかなかったため、その直後の日清戦争(1894年、明治27年)や日露戦争(1904年、明治37年)において、陸軍では約29万人が脚気になり、約3万人が死亡しています。

文豪・森鴎外が、医者としては自らの説をガンコに貫いたが故の大失態として、よく知られているエピソードです。

一方、森の反論により高木説が主流派にならなかったため、せっかくのチャンスだったのに、日本人の体格は向上しませんでした。

だから当時の日本軍の兵士は小さかったのです。

シベリア出兵(1918年~1922年、大正7~11年)で、米英中国など各国の兵士と一緒に日本兵が映っている写真が歴史の教科書などにも載っていますが、もっとも背が低いのが日本兵です。

ネットで見ることができるので、興味のある人は検索してみてください。

昔から日本人は肉を食べていた

先に日本人が肉を食べるようになったのは、明治時代からだと言いました。文明開化で何でも西洋に習おうと、肉食を始めたとされています。

一方、日本は仏教が伝来してから肉食をやめて、明治になるまでは一切肉を食べていなかったというのが表の歴史として伝えられていますが、実はしっかり食べていました。

もっとも肉を食べていたのは戦国時代です。戦国武将はけっこう体が大きい人が多かったといわれています。彼らは肉もしっかり食べていたと想像できます。

ただ、庶民は肉を食べていないので、平均身長は低いままでした。庶民も肉を食べるようになって身長が伸びてきたのは、戦後になってからです。

敗戦直後は、食べるものがなかったので栄養状態も悪く、子どもたちもやせほそっていました。

子どもはたんぱく質が不足していると、成長できません。

そこで、国連児童基金(UNICEF)が、学校給食を通じて脱脂粉乳の配布を開始しました。そのおかげで、子どもたちがたんぱく質を摂れるようになったわけです。

スプーンですくった粉ミルク
写真=iStock.com/towfiqu ahamed
※写真はイメージです

戦後、学校給食を食べていた子どもということは、35~40年(昭和10~15年)くらいに生まれた人。

昭和1ケタ生まれの人たちは、10代後半か20代になっているので、それより少し後の世代ということになります。