日本の夜が明るい納得の理由

生物学的な観点からいえば、日本の夜が明るくなるのは至極当然のことかもしれない。

ご存じの人も多いだろうが、同じホモサピエンスでも明るさの感じ方は虹彩に含まれる色素の量でずいぶん違うといわれる。

東アジア特有の強烈な日差しに適応してきた私たちは、色素の量が増加して夏場でもサングラスなしで平気な目に進化した。その代わり、日が暮れるとあたりが急に暗く感じられる。

一方、色素の量が少ない欧米人は明るい場所にめっぽう弱い。知り合いのフランス人(碧眼)の話では、日本の夜は明るいを通り越して「まぶしい」という。夜、日本人家族の家に遊びにいって長居をしていると、まぶしすぎる照明のせいでだんだん気が立ってくるそうだ。

彼らが好む照明は、欧米の映画やドラマを見るとよく分かる。テーブルランプやフロアスタンドなどを、あかりがほしいところにだけ無造作に置いている。天井面に照明のない部屋も珍しくない。照明器具のデザインはどれも個性的で、インテリアデザインの重要なアクセントになっている。

なんともかっこいい。そのままインテリアのお手本として取り入れたいところだが、やはりその「暗さ」だけはいかんともしがたい。そのまま導入すれば、日常生活がおぼつかなくなるのは目に見えている。

照明ならではの抜け道

欧米ほど暗くはない。

しかし、ただ明るいだけでもない。

日本の多灯分散式は、そのあたりのちょうどよい落としどころを探る必要がある。同時に、昔ながらの均一なあかりに慣れた住み手を十分納得させる必要もある。

ある会合で知り合った建築家は、その解決策としてかなり「危険な」方法を実践していた。彼の照明計画を支えていたのは、おおむね次のような理屈である。

まず大前提として、照明というジャンルは設計側の提案が比較的通りやすいという特徴がある。提案といっても、数ある打ち合わせ項目のなかから照明だけを抜き出して、ああしましょうこうしましょうと熱心にやり取りするわけではない。

大半の建築家は、どの物件でも使っているお気に入りの照明器具をいつもどおりに配置して、こんな感じでいかがでしょうかと投げかけるだけだ。彼もまた、同じようなやり方で照明計画を提案している。

それでも施主の多くは、最初の提案をほぼそのまま受け入れる。なにしろ現時点で彼らが住んでいる家は、天井の真ん中に蛍光灯が張りついているか、ペンダントライトがぶら下がっているか、たいていはそのどちらかなのだ。

ダウンライトやスポットライトを配置した美しいリビング・ダイニングのパースを見せられると、それだけで舞い上がってしまう。

なおかつ照明には、当初は違和感があってもすぐに慣れてしまう、というなんとも都合のよい側面がある。昼白色、電球色といった色温度の変更などはその最たるものだろう。

リビングの照明が、それまで慣れ親しんでいた青白い寒色系から赤っぽい暖色系に変更されたとしても、新しい色温度に住み手が慣れるスピードは驚くほど早い。ことによると、以前とは違う色に変わっていることにすら気づかない人もいるはずだ。

「そこに、照明ならではの抜け道があるんです」

全身黒ずくめの建築家は、自信たっぷりにそう話した。