奔放な叔母

10月。母親はスプーンが使えなくなり、食事が全介助に。車椅子への移乗も、全介助が必要に。机にコップを激しく打ち続ける、シーツを剝がしたり脱衣更衣を繰り返したり、叩く蹴るなどの暴力行為、大きい声を出し続ける、不明言動が増えるなど、不穏症状が強く出るようになり、抗精神病薬の内服を開始。

一方、サポートに入ってくれた叔母は家事をメインで手伝ってくれていた。しかし、鈴木さんが留守の間に食器や調理器具の位置を勝手に変え、大切な食器を割ったり、食材があるのに毎日買い物に行き、大量の食材を買い込んでは食べきれない程の料理を作ったりするため、食費は1日5000円を超えた。買い物は鈴木さんがすると伝えても聞かず、冷蔵庫は残り物でパンパン。古くなった食材は、「あんたが食べな」と妊婦の鈴木さんに押し付け、父親と夫には気に入られようと高級な牛肉を食べさせ、鈴木さんには豚肉を与えた。

金色の皿にのったステーキ用の肉
写真=iStock.com/kuppa_rock
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叔母の作る料理はしょっぱく、糖尿病だった父親はよく残した。やがて叔母は朝5時に起きて、鈴木さんの夫のお弁当まで作り出し、キッチンの隣で母親と寝ていた鈴木さんは寝不足に。

夫は「お弁当はいらない」と言ったが、それでも叔母はやめない。鈴木さんが指摘をすると、叔母は気分を損ね、余計に悪い方向にエスカレートしていく。

「当初、叔母は私の産後も、『ずっと同居しても良い♪』とメッセージを送ってきましたが、逆に『一刻も早く追い出さないと大変なことになる!』と父も夫も家事や介護に協力的になり、おかげで叔母との同居を2カ月で解消できました。母の介護は大変でしたが、叔母がいない生活のほうがよっぽど楽でした」

父親は、塩分の高い食事により、腎機能が悪くなってしまった。

ダブルケアスタート

11月。母親は食事中よくむせるようになったため、とろみをつける。排泄や移動は協力動作が得られなくなり、2人介助に。不穏症状が落ち着き、デイサービスの利用を開始。発語がほとんど聞かれなくなる。

12月。無言無動状態に。時折吸引が必要となったため、鈴木さんは出産のタイミングがきたら、勤務する病院のレスパイト(休息制度)を利用する手はずを整えた。年も押し迫ってきた27日、鈴木さんは無事男児を出産。

産前に鈴木さんは、「しっかりサポート面接」も受けていた。「しっかりサポート面接」とは、市内に住む妊婦全員を対象に、保健師などが行っている30分程度の面接だ。

鈴木さんが面接で事情や不安を伝えると、その日のうちに「難病係の保健師」と「母子係の保健師」につなげてもらうことができ、出産までに2度の家庭訪問と2週間に1度のペースで電話相談の場があった。

担当者は、プリオン病の患者に関わるのは初めてだったが、プリオン病の支援経験がある職員と連携して、利用できるデイサービスやショートステイなどをケアマネとともに探してくれた。

また、緊急時の産院への入院準備や、子どもが生まれた後の準備など、初産を迎える鈴木さん夫婦が気付かなかった点を指摘してもらい、安心して出産できるようなフォローがあった。

ところが鈴木さんは、産後、血圧が上がり、降圧剤を内服しても上の数値が160台が続いた。

「本当なら母の援助が受けられたはずですが、頼みの母は思いがけぬ難病に……。母はしばらく病院に預かってもらうとしても、産院を退院した後、ほぼ1人で家事と育児を行うことには不安がありました」

コロナの影響で、産院での父親学級や沐浴指導は中止。夫は育児の知識がほとんどなく、育児のイメージもついていない。そこで鈴木さんは、助産師による産後ケアを利用することに。

退院翌日に助産師に家に来てもらい、夫への沐浴・オムツ交換・抱き方・調乳指導を依頼。父にも乳児の抱き方の指導をしてもらい、夫と父も育児に協力できるような体制づくりを行った。

結果、産後1カ月間は、夫が帰宅後に息子の沐浴を担当してくれ、鈴木さんの体調がすぐれないときは、夫や父にミルクを依頼することができた。

この他に鈴木さんは、産後すぐに利用できる「育児支援ヘルパー契約」を産前のうちに結んであった。鈴木さんは退院後、起き上がれない状態が続いたため、子どもの沐浴、ミルク、掃除、家族の夕食準備などを依頼し、育児支援ヘルパーが来ている間は、自分は少しでも体を休めるようにした。

2022年1月。3週間のレスパイト入院を経て母親が帰宅。介護と育児のダブルケアがスタート。母親は咀嚼困難になり、ソフト食へ。尿失禁、便失禁によりオムツ対応に。週1回の訪問入浴を開始。上下肢拘縮あり、更衣は全介助となった。