「クロイツフェルト・ヤコブ病(プリオン病)」
「クロイツフェルト・ヤコブ病」は、100万人に1人の有病率。まだ治療法はなく、進行はとても速く、発症から1〜2年で死に至る恐ろしい病気だ。主治医は、「余命3カ月〜2年」と告げ、近いうちに母親は、「家族のことも分からなくなる」「全く動けなくなり、言葉も発しなくなる」と説明した。
鈴木さんは、「進行性核上性麻痺」よりももっと予後の悪い病名を告げられ、「どうして母が……⁈」と、胸をえぐられたような気分だった。
当時妊娠7カ月だった鈴木さんは、しばらく毎晩のように泣いて過ごしたが、約1週間後には、「泣いたところで何も変わらない。元気だった頃の母が今の私を見たらどう思うだろうか? しっかりしないと!」と自分を奮い立たせた。
「母にも私たち家族にも、もう時間がありません。治療法がないとわかった今、考えるべきことは『残された時間をどう過ごすのか』ということだけでした」
在宅療養
鈴木さんは、母親を自宅で介護したいと考えていた。それは父親も夫も同じだった。
看護師をしている伯母(母親の姉)と叔母(母親の妹)に連絡すると、中部地方から駆けつけ、「私たちもできる限り力を貸すよ」と応援してくれた。
しかし主治医は、「妊娠・出産しながらの介護は難しい」「これからの命の方が大切だ。お母さんは諦めなさい」と反対。だが、いつもは頼りない父親が、「本人が望むなら家に帰してやりたいんですよ。私もできる限りのことをしますから」と言ってくれたとき、鈴木さんは父親を見直した。
結局、看護師である叔母が同居して介護を手伝うならばと、退院の許可をもらうことができた。
2021年9月、「少しでも話せるうちに、できるだけ長く一緒に過ごしたい」と考えた鈴木さんは休職し、母親の在宅療養を開始。
同時に夫と話し合い、両親を住まわせるために購入したマンションは、違約金を払い解約。一時的な同居ではなく、この先もずっと自宅で同居することに。
「7人家族で育った夫は、大家族には抵抗がなく、むしろにぎやかになって良いと理解を示してくれました。父は、私たち夫婦に迷惑をかけるからと、この先も同居することに強い抵抗を示していましたが、何度も話し合い、最終的には渋々承諾した感じです」
退院したばかりの母親は、食事はセッティングすれば自己摂取可能だが、途中から疲れてしまうため介助が必要だった。排泄は、尿意、便意は訴えられず、起き上がったタイミングでトイレ誘導。夜中も2〜3回行う。週2回のシャワー浴は、訪問介護を利用。更衣は、着替え方がわからなくなってしまったため、全介助。移動は、軽介助で車椅子に移乗。転落防止で安全ベルト使用。鈴木さんは母親のトイレ介助のため、夜間は母親のベッドで添い寝をした。