子供にとって「恥」は超危険信号

何をどう恥じるかは人によってちがいますから、まずは、定義を決めておきましょう。わたしの定義では、恥じるとは、「自分のこの部分は、誰にも認めてもらえない――誰も、この部分に触れたくないし、そんな自分と一緒にいたいと思わない」という感覚です。

これはとても強い感情で、自分を恥じているときは、他人との接触を避けようとします。隠れたり、距離をとったり、他人に近づくのではなく、離れていこうとするのです。そして、子どもの究極の恐怖を呼びさまします。アタッチメントが形成できないという考えです。「わたしは/ぼくは内側でもダメな子だ、価値がないし、愛してもらえないし、そばにいてもらえない……ひとりぼっちになってしまう」。

子どもの生存はアタッチメント(愛着)にかかっているため、自分を恥じる気持ちは、体にとって超危険信号です。見捨てられる可能性につながる感情や衝動や行動ほど、子どもにとって調整を失わせるものはありません。それは本当に、生存を脅かす、存在にかかわる危険なのです。

フリーズ状態は子供の防御反応

こうしたことから、恥じる気持ちはアタッチメントの仕組みと連動する形で、子どもに対して、アタッチメントを得る上で邪魔になる部分を隠すように信号を送ります。恥じる感覚が耐えがたいのは、それがわたしたちの体に、苦痛だけれども重要な情報を突きつけるからです。いまの自分のままでいつづけると、必要な欲求を満たしてもらえず、代わりに、拒絶されるという情報です。

この背景を理解すれば、恥じる気持ちが防御メカニズムの一種として、子どもをその場に「フリーズ」させることが想像つくでしょう。この「フリーズ」状態は、ごめんなさいを言えない、助けを受けいれない、本当のことを言おうとしない態度として表れます。問題は、この反応の鈍い、固まった状態の子どもは、親を怒らせがちだということです。

なぜなら、親は子どもが自分を無視していると考えたり、子どもの行動を失礼な態度または無関心と誤解したりするからです。その結果、恥じる気持ちに対応するのではなく、子どもに怒鳴ったり、一人で部屋に行かせたりします。どのアプローチも、恥じる気持ちをエスカレートさせ、負の循環を繰り返させます。

では、どう介入すればよいのでしょうか。