妹がギブアップしたら「自分が引き取るしかない」
筆者は、宮畑さん兄妹が助け合って母親を介護する様子から、きょうだい仲が悪いとは思えなかった。だが、宮畑さんは首を振る。
「父をがんで亡くしたとき、私は14歳。弟は10歳、妹は8歳でした。私は父親代わりをすることなくさっさと上京し、弟とは10年以上音信不通。妹も私のことを良く思っていないと思います。現在は、妹が母を介護してくれていますが、いつまでもつかわかりません」
いつか妹がギブアップしたら、「自分が引き取るしかない」と重々しく言う宮畑さん。
「そのとき問題になるのは妻です。『もういい加減にして!』と言って出て行かれても仕方がない。それでも一緒にいてくれるなら、何か方法を考えなくてはならない」と話す。
「未来はわからない。その前に母は死んでくれるかもしれない。正直みんな望んでいると思います。親不孝だし、縁起でもないことを考えていることはわかっています。けれどみんな、『迷惑だな、早く死んでくれればいいのにな』という気持ちが心のどこかにあるはず。もう私は、母を親とは思っていません。そうでないとこちらがおかしくなるから。妻が失語症になったのは、私の親だから大切にしなきゃと思ってくれたからだと思うのです。妻には本当に悪いことをしました。反省しています」
宮畑さんは、妻との「報・連・相」を欠かさず、逐一相談しながら介護をしてきた。妹がヘルプで来たときには、3人で毎晩のように、母親の食事や薬、行動についてなど報告しあい、家族会議をした。
「一人で介護している人はすごいと思います。わが家はほぼ3人でしたが、今思うと、いかに最初に冷静に考えることが大切かを思い知ります。私が介護を経験して気付いたことは、慌てないで勉強することの重要さです。家族に介護が必要になったとき、本当に改善することがいいことなのかを考えること。そして、離れていても、親のことをもっと観察しておくべきだったということです。たまにしか会わなくても、電話でもネットでもいい。よく親を観察していれば、いつもと違うことにもっと早く気付けたと思うのです。私はあたふたして、へとへとになって、無駄なお金を使ってしまいました。最初の半年くらい十分に考える時間を取って、介護の方向性を定めるべきでした」
親の介護は、兆しに気付くに越したことはないが、気付けずに突然始まることも少なくない。多くの人は突然のことには慌ててしまうもの。ましてや未経験のことにはなおさらだ。
だからせめて、親が高齢になったら月に一度でも2週に一度でも定期的に連絡を取り、口調や話題に変化がないかに気を配りたい。それが現在の自分の生活や、大切な人を守る備えとなる。