来年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部はどんな人物だったのか。古典エッセイストの大塚ひかりさんは「人の気持ちを読み取る共感能力が高い女性だった。上流貴族の出身でありながら、家庭教師という身分に落ちぶれた自身の経験が、影響しているのではないか」という――。(第1回)
※本稿は、大塚ひかり『嫉妬と階級の『源氏物語』』(新潮選書)の一部を再編集したものです。
清少納言より権力に近かった紫式部
先の系図を見てほしい。道長や妻の源倫子、紫式部や夫の藤原宣孝の血筋の「近さ」が改めて痛感される。
こうした「近い」血縁内で、主従関係が出来上がっているのが当時の貴族社会の常とはいえ、紫式部は清少納言以上に権力に「近かった」ということをまずは頭に入れておきたい。
その前提を得ると、宮仕えに対する清少納言とのスタンスの違いも理解しやすい。清少納言は、
「宮仕えする女を浅はかで悪いことのように言ったり思ったりする男なんかはほんとに憎らしい」(“宮仕へする人を、あはあはしうわるき事に言ひ思ひたる男などこそ、いとにくけれ”)(『枕草子』「生ひさきなく、まめやかに」段)
と主張したものだ。
一方、紫式部は、
「しみじみと交流していた人も、宮仕えに出た私をどんなに厚顔で心の浅い人間と軽蔑するだろうと想像すると、そう考えることすら恥ずかしくて連絡もできない」(“あはれなりし人の語らひしあたりも、われをいかにおもなく心浅きものと思ひおとすらむと、おしはかるに、それさへいと恥づかしくて、えおとづれやらず”)(『紫式部日記』)
と、宮仕えに対して複雑な思いをにじませている。
貴婦人が親兄弟や夫以外の男に顔を見せなかった当時、男に顔を見られるということは、体をゆるすことを意味していた。それもあって、仕事柄、多くの人に顔を見られる宮仕えは、良家の子女がすべきではないという考え方があったのだ。