元上流貴族ゆえのプライドの高さ

紫式部のプロフィールをまとめると、

1紫式部の祖父や父、夫は受領階級(中流貴族)に属すが、自身も夫も先祖は上流に属し、血縁には高貴な人々が少なからずいた。
2曾祖父は娘を天皇に入内させ、一族からは皇子も生まれていた。
3紫式部は文壇の中心人物と昵懇で、最高権力者である藤原道長のお手つきだった。
4夫と死別した紫式部は先祖を一にする藤原道長やその娘に仕えていた。

ここから見えてくる紫式部像は、

「先祖は上流だったのに、祖父の代には落ちぶれて、自身も夫を亡くし、家庭教師という特別待遇ながらも、人に仕える立場に成り下がっていた」

である。そんな紫式部に“上衆めく”振る舞いがあったとしても不思議はあるまい。

土佐光起「紫式部図(部分)」
土佐光起「紫式部図(部分)」(画像=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

水鳥にさえ自分を重ねる高い共感性

紫式部は“上衆めく”一面のある一方で、苦悩を抱える最底辺の人々に、自分を重ねてもいる。

これまた、「似つかわしくないもの。下衆の家に雪が降っているの。また、月が射し込んでいるのも残念だ」(“にげなきもの下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるもくちをし”)(『枕草子』「にげなきもの」段)

と、下衆に対して冷たい視線を送って見せていた清少納言とは対照的だ。

紫式部は、

「めでたいこと面白いことを見たり聞いたりするにつけても」「憂鬱で心外で、嘆かわしいことが増えていくのがとても苦しい」と『紫式部日記』に記し、優雅に泳ぐ水鳥もその身になってみれば苦しいのだろう、自分も同じだ……と嘆く。彰子の実家に一条天皇が行幸するという、女主人にとっての栄誉の日にさえ、天皇の御輿を担ぐ駕輿丁かよちょうが“いと苦しげに”突っ伏している姿に、「私だってあの駕輿丁とどこが違うというのか」(“なにのことごとなる”)

と言い切る。

「高貴な人との交流も、自分の身分に限度があるのだから、まったく心が安らぐことはないのだよ」(“高きまじらひも、身のほどかぎりあるに、いとやすげなしかし”)

と。

紫式部が、高貴な女主人に同じ人間としての苦しみを見るだけでなく、賤しい駕輿丁にすら自分を重ねるのは、先にも触れたように、希有な共感能力ゆえだろう。

見てきたように、彼女は、人ならぬ水鳥にさえ我が身を重ねていた。この「なりきり能力」があらゆる立場・身分の人物をもリアルに描く『源氏物語』を生んだわけだが……。こうした感想が出てくるのは、それだけ自分が対等でない、人間扱いされていないという実感があったからだろう。プライドが高いからこそ、それに見合わぬ低い現状とのギャップが苦しいのである。