上から目線で人間を観察する
実際、女房は公達の気軽な性の相手となりがちだ。これに関しても清少納言と紫式部はとらえ方が違っていて、公達が女房の局を訪ねる沓音が内裏では一晩中、聞こえることに、清少納言が“をかし”と風情を感じているのに対し、紫式部は“心のうちのすさまじきかな”(心の中が荒涼とするよ)と嘆いている。
が、歴史物語の『栄花物語』を見ると、当時は大臣クラスの娘でも宮仕えに出ていた時代である(巻第八、巻第十一など)。紫式部の気持ちは態度にも表れていたのだろう。彼女はともすると、「あんた何様?」と見られていた。『紫式部集』には、
「こんなにも落ち込んでもよさそうな身の上なのに、ずいぶん上流ぶっているわねと、女房が言っていたのを聞いて」(“かばかりも思ひ屈じぬべき身を、「いといたうも上衆めくかな」と人の言ひけるを聞きて”)詠んだという詞書のついた歌が載っている。
「こんなにも落ち込んでもよさそうな身の上」(“かばかりも思ひ屈じぬべき身”)の解釈については、「紫式部自身が、ふさぎ込んで当然の身の上と思っている」「他人が紫式部を、ふさぎ込んで当然の身の上と思っている」の二説あるが、いずれにしても、紫式部は「何様?」と人に思われていた。「上流ぶっている」「お高くとまっている」と。
どんなに高貴な人にも苦悩はある
清少納言と紫式部は、女主人に対する見方も対照的だ。
清少納言ははじめて定子のもとに出仕した時、緊張に打ち震えながらも定子の美しい手が袖の先からのぞくのを見て、
一方の紫式部は、皇子を生んで国母と崇められる彰子の姿を、
と描写している。
清少納言にとって女主人は絶対的な存在であるのに対し、紫式部にとっては同じ人間としての苦しみを持つ存在だった。
これはあとで見るように、紫式部の類いまれな共感能力のなせるわざで、それが作家としての才能にもつながったわけだが、この姿勢が、どんなに高貴な人にも苦悩はあるという『源氏物語』の設定を生んだのである。いずれにしても、厳しい身分社会だった当時、女主人に、ややもすると上から目線で人間としての苦しみを見たのは、紫式部に相応のプライドがあったからに他なるまい。