多くの人たちがリストラで職を失った

きっかけは、1997年から始まったアジア全体の通貨危機でした。

まずはタイで通貨バーツの暴落が起きました。そこから金融市場の混乱が始まり、影響はインドネシア、マレーシア、フィリピンなどに波及していきました。そして同年10月には、さまざまな格付け会社が韓国の信用格付けを下方修正し、株式市場は大暴落しました。韓国政府は金融市場の安定化を図りさまざまな策を講じたのですが、ついに支えられなくなり、IMFに支援を要請することになったのです。

IMFは韓国を支援する際に、いくつかの条件を突きつけました。そのなかには、社員を解雇しやすくする、公的企業を民営化する、公務員や金融機関の従業員をリストラするなどの項目が入っていました。これにより多くの人々が職を失い、路頭に迷ってしまったのです。

公園のベンチに座り頭を抱えている男性
写真=iStock.com/metamorworks
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韓国でベストセラーになり日本でも話題になった『82年生まれ、キム・ジヨン』の主人公キム・ジヨンの父親もその流れに巻き込まれ、ジヨンや姉は進路の変更を迫られます。IMF経済危機とそれに伴うIMFの介入は、韓国にとってまさに「敗戦」に匹敵するものでした。経済は大失速し、人々のプライドも大いに傷つきました。そして、男性が次々とリストラされたことで、女性たちは仕事をせざるを得なくなりました。

それまでの韓国では、結婚後の女性は家庭に入り専業主婦になるのが理想とされていましたが、それ以降は女性も働くのが当たり前の世の中になったのです。これは韓国社会において、実に大きな変化でした。

経済危機は女性にとってはチャンスでもあった

小説では、ジヨンの父が仕事を退職した後、退職金を元手に事業を興したことが描かれています。

父が最初にやろうとしたのは、中国との間で行われる貿易業務に投資することでした。ところが、ジヨンの母はこれに大反対します。父は結局、当時大はやりだった鶏肉と野菜などを甘辛く煮込んだ料理「チムタク」の店を開きますが、大した利益はでないまま閉店。続いてフライドチキン店やフランチャイズのパン屋を開くも、どちらも失敗に終わりました。

一方、母には商才があったようで、不動産投資で利益を出したり、フランチャイズのおかゆ店を開いて売り上げを伸ばしたりしました。その結果、母の収入はかつての父の収入を大きく上回るようになり、店の近くにあるマンションを買えるほどになったのです。

IMF経済危機は韓国人にとって、本当に厳しい出来事でした。しかし、社会が大きく変化する中で上昇気流に乗れた人もいたのです。特に、それまで虐げられていた女性にとっては、解放への絶好の機会となりました。ジヨンの母は、そのチャンスをつかんだ一人だったのでしょう。