三沢選手の死を無駄にしないために
俺が救命救急の啓発活動などを目的に「一般社団法人ニューワールドアワーズ(NWH)スポーツ救命協会」を設立したのは2014年7月。ちょうどプロレスラーとして第一線から退いた直後で50歳のときだ。
きっかけは2005年に同期の橋本真也選手が病気で、2009年にノアの三沢光晴選手がリング上の事故で亡くなったことが大きい。
選手が試合中に不測の事態に陥ったとき、数急車が到着するまでには“空白の時間”があり、そこでの対処が生命を大きく左右する。そのことを痛感した俺は知り合いのアスリートたちにも呼びかけて2010年にAED(自動体外式除細動器)の使い方などを習う普通救命講習を受講した。
この当時、AEDは全国に10万台くらい普及していたんだけど、使える人が少ないという現状があったんだよね。だから受講者を増やすことが三沢選手の死を無駄にしないことにもつながるんじゃないかと思って、啓発活動に全面的に協力させてもらうことにしたんだ。
2011年に東日本大震災が発生した。
この震災を機に新たに始めたのが消防団の普及・啓発活動だ。
「消防団」といっても関係者が周りにいない人にはぴんとこないかもしれないけど、実は火災や震災などの有事のときにその地域に密着しているからこそきめ細かい消防活動ができる、地域防災のリーダー的存在の人たちだ。
東日本大震災の翌年の調査によれば、この震災では実に254名もの消防団員が亡くなり、当時はまだ行方不明者もいた。その話を聞いたとき、なぜそんなにたくさんの消防団員が……と俺は本当にショックを受けたんだ。
そこから「蝶野さん、消防団の応援団をやってくれませんか」という話につながっていったんだよ。
日本が、世界があなたの支援と優しさを待っている
地域防災の助け合いには「自助、共助、公助」とあるけど、国にやってもらう公助は質量が限られているし、駆けつけてくれるまでのタイムラグもある。だから大きな災害のときは、地方に行けば行くほど地元の消防団員がメインで現場に駆けつけることになる。
東日本大震災では「高いところに避難してください」という避難警報から15分、20分でみんな避難した。でも消防団員が点呼をしてみると何人かがいない。それで急いで助けにいった消防団員の多くが、残念ながら命を落としてしまっている。
いくら日頃訓練している消防団員とはいえ、10分、20分で救助することは難しい。有事のときは一人一人が自発的に避難しないと助かる命も助からない。それが地域防災の基本なんだよね。
国や自治体からの助け(公助)の前に地域やお隣さんと助け合う(共助)。でも、それより何より自分の身は自分で守ろう(自助)。
そのことを一人でも多くの人に伝えたいと俺は思っている。
実は三沢選手がリング上の事故で亡くなったあと、本当はプロレスラーの事故防止を目的とした健康管理団体を山本小鉄さんとつくろうとしていたんだ。でも、そのさなかの2010年8月に小鉄さんが亡くなってしまった。
また「選手の健康管理をしてしまうとウチは出られる選手がいなくなる」という団体からの声もあった。
けがを押して試合に出場していた自分のキャリアを考えても、たしかにそのとおりかもしれない。それに当時は俺自身が新日本プロレスからフリーとして独立したり長期休養でリングから離れていたりとプロレス界からちょっと離れていたこともあったから、自分からこの業界にアクションを起こす立場ではないとも感じていた。
じゃあ俺ができる範囲で何か人の命を守れること、死亡事故を未然に防げることはないかと考え、今の活動につながっていったんだ。